平安時代 藤原氏の他氏排斥事件

緫‐suburu‐
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810年 薬子の変
 →平城上皇側近の藤原薬子が、
  平城上皇と嵯峨天皇の仲が悪いのを利用して
  兄ちゃんの仲成と平城上皇の復位と平城京への遷都を
  企てたが失敗…。
  妹薬子は自殺、兄仲成は射殺
  ちなみに式家
  結果、北家藤原冬嗣が蔵人頭になる

842年 条和の変
 →伴健岑・橘逸勢(三筆の一人)が謀反を企てたとして失脚
  隠岐伊豆に流される
  権力の確立を図った良房の陰謀かも…

858年 清和天皇即位、良房は摂政の実を行う
 →外戚とは、母方の親戚
  清和天皇は9歳で即位
  幼子なので摂政関白として実権を握る

866年 応天門の変
 →大納言伴善男が、応天門を放火して左大臣源信を失脚させようとしたが
  発覚して伴善男は伊豆へ配罪
  事件の処理に当たった良房は、有能な他氏出身の官人の敗訴に成功★

887年 阿衡の紛議
 →基経と宇多天皇の政治的抗争
  「阿衡の任」をよろしくと言われた基経だったが
  「そんな名前の役職じゃん!いみふ!ぷんぷん!作ったやつマジなんなの!?」
  となり、仕事をストライキ
  翌年、宇多天皇が「それ間違ってたから…作ったやつも罰するから~」
  となり収拾
  基経は関白として政治的立場を強化したよ★

901年 昌泰の変
 →基経死後、宇多天皇があれ藤原氏の独占やばいんじゃね?!となり
  菅原道真にどうにかしてもらおうとしていたところ、
  基経の子の時平が、あいつヤバいってと醍醐天皇に言ったところ
  道真は太宰権帥として大宰府に左遷
  ちなみに宇多天皇と醍醐天皇は親子でしゅよ
  

#センター試験対策(日本史)#Heian period#藤原仲成#藤原薬子#藤原冬嗣#藤原良房#藤原基経#藤原時平

2015-02-20 17:37:45 +0000