「っち…!またアラカブか」一発で当たりがきたのはいいが、掛かったのは20センチのアラカブだった。今日の俺は1メートル超のヒラメしか眼中にない。身の程をわきまえろって?そうはいかねえ。今日は瞬先生が、この寂れた漁村に定期健診に来る日だからな。周囲にゃ山と海しかないしけた村だが、このあたりは魚だけは旨い。瞬先生には絶対、10キロ級のヒラメを見せてやりたいんだ。俺なんかが抱きしめたら、折れちまいそうなくらい華奢で、見たこともないくらい肌が白くて…昔話に出てくる天女さまみたいな瞬先生。お姫さまみたいに綺麗で、夢の世界の天使みたいに優しい瞬先生…。病弱がちな妹を診察してくれたせめてもの礼にと、瞬先生にアラカブを贈ったのが先月のことだ。食いきれねえほどのアラカブを目の前に、大きな青い目ン玉が零れちまいそうなほど吃驚していた瞬先生。その場で「ちょっとキッチンをお借りしてもいいですか?」なんて言い出すから、どうぞどうぞ何でも好きなようにとお通ししたら、あっという間にアラカブの煮付けを作っちまった。あんなに旨い煮付けを食ったのは、お袋が死んで以来初めてだった。料理がうまくて白衣が似合って、いい匂いのする瞬先生…。「俺の嫁さんになってくれ」って喉まで出かかったが、俺は手負いの熊みてえなぶすくれた面構えの、図体がでけえだけのしがない漁師だ。あんな…どこもかしこも細工物みたいに綺麗な瞬先生とは釣り合いなんか取れっこねえ。俺の初恋は、出会った瞬間に終わったようなもんだ。俺は泣いた。一晩山で…泣いた。さんざ泣いて、それでも俺は瞬先生が好きで。せめて俺が瞬先生にしてあげられることをしようって思ったんだ。漁師の俺にできることなんて、魚を獲ることしかない。この海で一番の大物を、瞬先生に食わしてやりたい…!俺は釣竿を放り出して、海へと飛び込んだ。海よ空よ魚どもよ。笑うがいいさ。俺はかなわない恋に身を焦がす惨めな道化だ。涙が止まらねえが構やしない。俺の涙なんか、どうせ波間に攫われちまうさ…。そんな俺の肩口が、急に燃えるように熱くなった。火がついたみてえだ、と思ったら上半身にクソでけえ鮫の歯が食い込んでいた。俺は瞬先生のことで頭がいっぱいで、鮫が近づいてるのに全く気付いていなかった。肩口から噴出した血が周囲を赤く染めていく。やべえ。誰か…!鮫をなんとかひっぱがそうと、奴の顎に手をかけて俺は格闘した。こんなとこでくたばるわけにはいかねえ!俺には妹がいるんだ…!その瞬間「ネビュラストリーム!」という、どこかで聞いた覚えのある声が聞こえた。と思ったら俺と鮫は揉みあったまま空中にきりきりと舞い上がり、そうして地面に顔面から叩きつけられた。なんだなんだ。何が起こったんだ。「大山さん、しっかりしてください…!」なんだか知らねえが瞬先生の声がする。幻聴か、と思ったら視界が瞬先生の小さくて綺麗な顔でいっぱいになった。「鮫は海へ帰しましたよ。良かった…この程度なら命に別状はありません。今すぐ手当てをしますからね」瞬先生が花のように微笑む。あんなでけえ鮫を海に帰したとか。アラカブじゃねえんだから。どういうことだろうと疑問に思ったが、俺は生命が助かった安堵もあり、次の瞬間爆発的に決壊した。瞬先生の細い腰に両腕ですがりつき、おおうおおうと辺り憚らず涙と鼻水を撒き散らす。「瞬先生…!!」「大丈夫ですよ大山さん。もう鮫はいませんからね」「瞬先生ぇぇぇ…!!俺こわかったよぉぉ…うおおぉぉぉおおおおおん瞬先生ーーッ!!」「もう大山さん、なんですか。子供みたいに…フフッ」おぉぉおおあぁああああああぁぁぁ瞬先生ぇぇぇぇ!!俺のおおおぉぉおおぉおあああぁぁぁああああ瞬先生ええええぇぇええぇえ!あああぁぁぁあああぁああ瞬先生の髪の匂いクンカクンカクンカクン(illust/28075744 に続く)
2012-06-18 11:01:10 +0000