【暉桀公の乱】
ふらふら旅してたらいつの間にか黒狄原まで来てましたよ。
その辺で地元民に混じってきゃっきゃ笛吹いたり、お話に興じたりしてるかと思われます。30歳です。
素敵企画内企画【illust/21708023】に参加させて頂きます!わぁい!
みなさんのアフター投稿で沸き立つ心を押さえれずゴリゴリ作業しちゃいました。
3次では錬の方に絡めず無念だったので、せめてもアフター妄想だけでも波に乗りたく!
遅参を2つ分描けたら、きっちりアフターモードに切り替えれたらなと思ってます。
■飄々とした態度の中、どこか雅な雰囲気のある楽師の男
旅慣れており大陸のありこちで楽と歓談に興じている
粛の名家、玲家の最後の当主。
粛が滅ぶ際、懇意にしていた朱家当主・皓月【illust/17947100】とともに家財道具も土地も屋敷も全てなげうって家人/粛民に分け与えた上で大宴会の末、出奔。
以降は玲秀の名も残るものの、文人としての号を含む玲樂峰の名で呼ばれることが多くなる。
後に伝わる玲樂峰は各地に残る逸話や作品を集めると50を超える年数大陸各地を転々としていたこととなるため、
正史を読むものは一つの名の裏に親子二代、もしくは師とその弟子があるものと読み解くことが多い。
実際には肉親につれられての外遊も多々あった幼少時、外交官/軍師時代の青年期、
そして戦後も結構な年になるまで旅はやめなかったためガチで全部本人。
旅費のために音楽を奏でたり、家庭教師をしたりする傍ら、情報屋もどきも行っている
かつて外交官や前線での軍師を務めた経験に合わせ、貴賎を問わず歓談する趣味のため
情報屋としての情報の角度は正確でなかなかに有用。
一晩の宿のため、縁あるものよりの願いのため、単に面白そうだからと気軽に力を貸すタイプ。
「これが意外にも食うに困らないんだ」
「旅は道連れっていうだろ?ほら乾杯の時は目を合わせるもんだ」
「いかにも。粛が玲家、最後の当主、玲秀でございます。今はいつ消えるとも知れぬ名と記憶を残すばかりですが。」
「おいたわしや…慣れぬ生活に心を痛めていなければ良いのですが…」
粛時代のCS【illust/12722306】
2011-04-01 13:00:19 +0000