「トレーナーさん。いつもご指導して頂きありがとうございます。こちら感謝の気持ちです」
グラスワンダーにラッピングされた一輪のバラを渡される。
とても嬉しいと思うのと同時に違和感を覚えた。
――このやり取り前にもしなかったか?
「トレーナーさんどうされましたか?」
気が付くと目の前には彼女がいた。
ジャージ姿の彼女は不安そうにこちらを見つめている。
自分の手にはストップウォッチが握られていて、タイマーは止まらず刻み続けている。
「…あ、ああ。ごめん。ボーっとしてた。悪い」
何をしていたかようやく思い出す。
芝2400mの計測をしていたのだと。
先ほど彼女がゴール板を通り抜けたのにタイマーをストップせず、ボーっとしていた。
「…最近、私の追加トレーニングにも付き合って頂いていますから、トレーナーさんもお疲れなのですね」
ふんわりとほほ笑む彼女を見て申し訳ない気分になる。
「ごめん、そうみたいだ。俺の都合で申し訳ないんだけど今日はこれくらいにしても良いか?」
「えぇ、その方がよろしいかと。トレーナーさんも体調管理しっかりしてくださいね?」
指を揃えた右手を口元に持っていき、上品に笑う彼女。
彼女の言う通りだと思いながらタイマーを止めた。
「トレーナーさん、どうぞ。私の気持ちです」
彼女の手にはラッピングされたバラの花束。
「ありがとう。でもすごいなこれ」
男性が女性にプロポーズする時に見るみたいな、大げさな花束を彼女から受け取る。
こんな経験は初めてだったので嬉しい反面、少し困惑していると
「伝えられるときに伝えておかないと。そう思いましたので」
そう言った彼女の表情はまるで絵具で塗りつぶされたように読み取ることが出来ない。
それと同時に違和感を覚えた。
――このやり取り前にもしなかったか?
ジリリリリリリリリリリ!
目覚まし時計の音で飛び起きるとそこは、自室のベッドの上だった。
時間は少し寝すぎた午前といったところ。
最近、はっきりと覚えてないが彼女の夢をよく見る気がする。
URAファイナルズ優勝をして、あと数日で来年度が始まる。
そう考えると3年以上彼女と毎日接してきたわけなので、見ない方がおかしいとも言える。
しかし、その夢はどれもリアリティがあり、夢っぽくない。
そんな気がするのは気のせいだろうか。
そんなことを考えながらコーヒーを飲み休日を謳歌していると
ピンポーン
チャイムが鳴る。
何故だか分からないが、確信する。
彼女が来たのだと。
「おはようございます。トレーナーさん。お疲れのところ伺ってしまってすみません」
予感は的中する。
ドアを開けるとグラスワンダーが微笑みながら立っていた。
「いや、全然。グラスこそどうしたんだ?」
何故休日に彼女が来たのか。それには検討は付いていなかった。
「日頃の感謝を、と思いまして」
彼女は後ろ手に隠していた物を出す。
それは4本のバラの花束だった。
彼女が白いブラウスを着ているため、バラの赤がより際立って映る。
「ありがとう。すごく嬉しいよ」
花束を受け取り感謝をする。
そしてふと感じたことを口にする。
「この前ももらった気がするな…」
何故かそう思った。
「そうですね…『今回で』999本ほどでしょうか?」
彼女がそんなことを言った。
「いやいや、そんなにもらってたら流石に覚えてるよ」
この3年間、様々な花をもらい自宅を色鮮やかに飾ってくれていたが、その中にバラは一度もなかったはずだ。
それなのにまたもらった気がする。
彼女はふふっと笑っている。
「冗談です」
彼女なりのジョークだったようだ。
「でしたら『今回は』この4本を受け取ってください。トレーナーさん」
そう言って静かにこちらを見つめるグラスワンダーだった。
2022-05-30 09:35:02 +0000