「ふむふむ~。スパートをかける時、体勢が少し沈むんだ。…あっ、前の子が抜けないと左耳がピクってするんだ。なるほどぉ…」
マチカネタンホイザは模擬レースを見ながらメモを取っている。
今度のレースで出走する相手の癖を探して対策を取ろうとしている。
「よくあの一瞬のこと見逃さなかったな」
自分は彼女の観察眼を褒める。
「え?いや~普通ですよ。他の子もやってるじゃないですか。私おっちょこちょいだからこうやってメモ取ってるだけですよ」
頭を掻きながら照れくさそうに言うが、全然普通ではないことだと思う。
彼女のトレーナーとして共に歩んできたが、こういった細かな努力は並大抵のものではないし、それこそ彼女の強さの秘訣だと確信している。
「このあとはどうする?」
今日は模擬レースを見るだけでほとんど休息日のようなものだ。
メモを取り終わった彼女はこちらに向き直る。
「ん~そうですね。お腹すいちゃったしご飯食べにいきましょう!」
お腹の好き具合的にもちょうどいい。どこか食べに行くかと考える。
今日は辛い物が食べたいなと右手を腰に当てながら考えていると
「今日は『カレーの気分』!商店街に美味しいカレー屋さんあるんでどうです?」
彼女からそんな提案をされた。
ちょうど彼女もそういう気分だったらしいので、その美味しいカレー屋さんに行くことにした。
「ほっほっふぅー。ん~~!この辛さがたまらんのです!」
商店街のカレー屋さんに入店しオススメのカレーを二人で注文し食べている。
言ってしまえばそこまで特別な味ではない素朴な味。
だが、その慣れ親しんだ家の味を食べているようで、自然とスプーンが進む。
「美味しいな」
「ふっふ~そうでしょうそうでしょう。私のお気に入りです」
対面でニコニコしながら頬張っている彼女を見てこちらも笑顔になる。
本当に好みの味だったので、これからも個人的に行こうかなと左耳を触りながら考えていると
「トレーナーもこの味『ハマって』しまいましたな~」
ムフフと笑いながら言ってきた。
翌日
トレーニングの準備のためバ場へ向かっていると、階段の踊り場に何か落ちているのが見える。
近づき拾いあげるとそれは小さなリングノートだった。
名前が書いてないか表紙を見てみるが書いていないので、申し訳ないと思いつつ中を確認する。
『走り出すときは必ず右足踏み込み』
『右頬を人差し指で搔いている時は迷っている時』
『何を食べるか迷っている時に、右手に腰を当ててたら辛い物』
『好きなもの、ハマったものが出来た時左耳を触る』
『関心している時は顎を左手で触る』
中にはびっしりと文字が書かれていて、とても勉強熱心な人物なのだという印象だ。
結局名前は書いていなかった。
仕方ないので落とし物コーナーへ持っていこうとすると
「あれぇ~?どこに落としちゃったんだろうぅ」
階段の下から聞きなれた声が近づいてくる。
キョロキョロと床を見ながら階段を上がってくるその人物はマチカネタンホイザだった。
こちらの存在に気づくと
「あー!それ私のメモ帳ー!」
パタパタとこちらに近づいてくる。
「これ君のだったのか。ここに落ちてたよ」
そう言って彼女に渡す。
「ありがと~トレーナー。…はっ!もしかして、中、見ました?」
両手で受け取った彼女は、身体を捻りリングノートを取られないように隠す動作をする。
「うん、名前書いてなかったから少し」
このリングノートの持ち主が彼女だったとは思っていなかったので、さすがに怒られるかもなと思っていると
「ま、良いんですけどね。拾ってくれてありがとです」
そんなことはなく、ニコニコしているだけだった。
ホッとしつつ、メモ帳のことで気になったことを聞いてみる。
「それ、昨日使ってたメモ帳とは違うよね?」
昨日、模擬レースでメモを取っていた時は普通の平綴じタイプのノートだった。
「ああこれは違う人のメモ帳ですね。同じノートで纏めてるとどれがどの人か分からなくなっちゃうので」
それほど一人ずつ細かく見ているのだなと左手で顎を触りながら感心する。
「そうか。それだけ相手のことを知ることが出来れば絶対レースで勝てるはずだな」
彼女の普通ではない努力の積み重ねは必ずレースを有利にしてくれる。
「はい、『このレース』には絶対勝ちたいなって思ってるんです」
ノートを口元に持っていきながら、こちらを上目遣いで見つめてくるマチカネタンホイザだった。
2022-05-26 10:56:50 +0000