「ねえ!フィドルを弾きたいんだけど聴いてくれないかな?」
ミーティング中、ファインモーションからこんなことを言われた。
「シャカールがオーケストラの生音が欲しいって言ってきたから、その時に弾いたんだけど楽しくなっちゃって。せっかくなら君にも聴いてもらいたいな~って」
彼女の話を聞いている内にヴァイオリンという楽器にだんだんと興味が湧いてきていた。
「いいなぁ~俺も弾いてみようかな」
「えっ!?」
グイッと彼女の顔が近くなる。
「君と一緒に弾けたらとっても素敵な思い出が出来るね!あ~今からドキドキしちゃうよ~」
「あ、いやでも俺ヴァイオリンとか一度も弾いたことないし…」
「私が教えてあげる!君にピッタリなフィドルも用意してあげる!」
「そこまでしなくても…」
「ううん、もう決めた!明日ここで私たちだけの演奏会をするよ!」
こんな風に、彼女はたまに強引に物事を決めていくところがある。
『ワガママ』だなぁと思いつつも、彼女がしたいことは出来る限り叶えてあげたいとも思っている。
「隊長。トレーナーへのフィドル、用意しておいてくれますか?」
「…はい。『トレーナー様へのフィドル』をご用意しておきます」
ドアの傍で控えていたSP隊長が一礼し無線で部下に報告をしているようだった。
「明日、休みで良かった~。それじゃあ明日またここでね!」
彼女を見送った後、演奏会のためにトレーナー室を少し掃除しておくことにした。
翌日
「こんにちはトレーナー。今日は私のために時間を作ってくれてありがとう」
トレーナー室に入ると既に来ていた彼女から挨拶をされる。しかし、いつもの雰囲気とは違う。
「お、おう。…なんで勝負服なんだ?」
「それはもちろん演奏会だからだよ」
ふふふと笑う彼女の手にはよく手入れされた、素人目からしても高級品だと分かるヴァイオリンが握られている。
ソファに腰かけるとファインは弾き始める。
聴き馴染みのあるファンファーレの旋律が紡がれていく。
『いちについて、よーい』と言う掛け声が聞こえてきそうな無音の後、彼女は踊るように弾き始める。
細かく切るように摩擦を繰り返すが、その一音一音は丁寧に響きヴァイオリンが喋っているかのようだ。
目を閉じれば彼女が楽しくターフを駆けていく姿が思い浮かんでくる。
そして颯爽とゴール板を抜けていくイメージと共に最後の一音が鳴り響いた。
「すごい!とても良かった!」
大きく拍手をして、彼女の演奏を褒める。
「ありがとう!私も君が楽しそうに聴いてくれたからすっごく楽しく弾けたよ!」
満面の笑みで言う彼女も実際楽しかったのだろう。
「ねぇ、もう一曲だけ良いかな?本場のアイリッシュフィドル、聴かせてあげる!」
それは是非とも聴いてみたいと思い、ソファに座り直す。
こちらの様子を見て彼女はニコニコしながらチューニングを整えていく。
準備が出来た彼女は弓を引く。
それは先ほど聴いていたヴァイオリンなのかと思うほど別の音色が響いていた。
指を弦に叩きつけるように弾きながら弓はS字を描くように流れていく。
ここにはないバグパイプの空気の揺れを感じる。
そのヴァイオリンは踊っていた。
彼女は先ほどとは異なるステップでリズムを刻む。
時折、「君も一緒に踊らない?」と言いたげな表情でこちらに近づき、笑いながらターンをして戻っていく。
気が付けば立ち上がりながら拍手を送っていた。
「本当に素晴らしかった!まるで君の故郷に行った気分になったよ。実際に行ってみたくなった」
「ありがとう!そう言ってくれて嬉しいよ!今度一緒に行こうね!」
そう言って彼女はヴァイオリンを一旦置き、こちらへと近づく。
「それじゃあ今度は一緒に弾こうか!隊長、用意して」
「はい」
SP隊長は机の上に置いていたハードケースをこちらに持ってくる。
中には一挺のヴァイオリンと一本の弓が収まっていた。
「それ、トレーナーにあげる」
「え!?いやそれはさすがに悪いよ」
明らかに高級なものであると分かるそのヴァイオリンを贈られて、さすがに焦ってしまう。
「ううん、だめ。それはもうトレーナーの物だよ。返品は受け付けません」
ツーンと顔を横に向ける彼女から絶対にあげるんだという意志を感じる。
「ううん…でも流石に自分の力に合ってないんじゃ…」
ヴァイオリンなんか一度も弾いたことのない自分にいきなり最上級の物で弾けと渡されても、分不相応なのではないかと思ってしまう。
「むぅ~貴様~私のプレゼントを受け取れないと申すか~」
ふくれ面でこちらを見つめてくる。
「…トレーナー様、ここは受け取った方がよろしいかと」
SP隊長が耳打ちしてくる。
自分は観念してそのヴァイオリンを受け取る。
「じゃあ音出してみよっか」
彼女は目の前に立ち、ヴァイオリンの構え方を教えてくれる。
「それで弓を弦に当てて、擦るように引いてみて」
言われた通りに引くと、綺麗な音が響く。
「そう!すごいよ!一回でこんなに綺麗に出るなんて!」
自分もこんなにはっきりと音が出るとは思わず、間抜けな顔をしていたと思う。
「なんか、自分の実力とは思えないな。この弓が良かったりするんじゃないか?」
「もう、そんなに『私のこと』褒めても追加のサプライズプレゼントはないよ?」
弓のことを言ったのに何故か彼女がモジモジと照れている。
「さて、じゃあトレーナー。今度は一緒に合わせてみようね」
見様見真似で構え彼女と一緒に弾く。
やはり心地よい音が鳴り、彼女の方からも同様に聴こえてくる音の波が合わさり室内で響きあう。
「どう?」
「…楽しいな」
「でしょう!君と同じ気持ちを共有出来て嬉しいな!」
そんなやり取りを繰り返し、いつの間にか数時間が経っていた。
さすがに疲れてきたのでソファに腰かけ休むことにする。
「ねぇ、今度はみんなの前で演奏会を開こうよ!ホールを借りてさ!その後はお父さまの前で二人で一緒に弾こうよ!」
彼女の妄想はドンドンと膨れ上がり、最後は彼女の父上の前で演奏しようなどと言っている。
どれも彼女の本心なのだろう。
そこにトレーナーである自分が当たり前のようにいることに笑ってしまう。
「ほんとうに君は『ワガママ』だなぁ」
苦笑交じりでそう呟く。
一瞬の静寂。
ピンと空気が張りつめたような感覚に陥る。
今の言い方は彼女を怒らせてしまったかと焦っていると
「…そうだよ。『私』はワガママだからね」
ヴァイオリンを手に持ったまま、ゆるやかに微笑みこちらを見ている。
「演奏を君に聴いてほしいのも、一緒に演奏したいのも、フィドルと『私の尻尾を張った弓』をプレゼントしたいと思ったのも、全部『私』のワガママ」
物音ひとつしない部屋の中、パサリと彼女の尻尾が静かに揺れる。
「『ファインモーション』としてこの身を祖国に捧げようとしたのに、走る楽しさと、私に『私』の楽しさを教えてしまったのは…一体誰?」
薄暗い部屋の中でファインモーションの瞳が『楽しげ』に輝いていた。
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全文は小説でnovel/17576167
2022-05-12 11:06:45 +0000