今日の国際羽田空港の地面に最初の著陸の滑走車輪を印したのは「青年日本号」である。~二十七年昔に初めて羽田を離陸した「青年日本号」の縁起はよかつたと云う事が出来る。その縁起で今日の羽田空港の今日は繁昌していると私は思ふ。 内田百閒「つはぶきの花」より
時に陸軍は、植村兵器局長の意向で、陸軍向けだけの飛行機会社の育成を考えられていたので、ここに石川島飛行機製作所の誕生を見るに至ったのである。~顧問格で陸軍中将有川鷹一氏を迎え、また技術陣は吉原四郎氏ほか陸軍から推薦された人々で、月島埋立地にあった二千坪の造船所原図工場が提供されて発足したのが大正十三年十一月のことであった。 日本航空協会「日本民間航空史話」より
2022-03-16 07:55:07 +0000