「この夢の終わりはきっと、新たな伝説の始まり」
劇場版イナズマイレブンGO究極の絆グリフォン、公開10周年おめでとうございます!
お祝いにチーム・ゼロ、そしてキャプテンの彼の漫画を描きました。
以下ネタバレありの感想とこれを描くにあたって考えていたことをつらつら書いてあるので興味のある方だけお読みください。
本編では天馬と関係の深いシュウの心情がメインで描写され、白竜が究極を目指すにあたった経緯などは描かれていませんでした。
また、その後の作品でも彼の心情が語られる機会はほとんどありませんでした。
それでも、いやだからこそ。
白竜がゼロのキャプテンであったこと、グリフォンにおいて最後の砦だったことに、きっと意味があったと思いたい。
彼を好きになったこの映画と、それに続く物語から「彼はどんなキャラクターだったのか?」という疑問に、自分なりの答えを表現したのがこの漫画です。
ゼロのみんなが彼の背中を見てきた、ゴッドエデンにいる全ての少年達が彼のすごさを知っていた。白竜なら、フィフスセクターと絶対的な存在だったその教官にけじめを着けることができる。
いや、それができるのは白竜しかいないんじゃないか?と。
サッカーの実力だけじゃない。彼には、そう思わせる強さがあります。
そんな白竜ですが、弱さを感じさせるシーンもあります。牙山教官に「負ければ存在する価値がないのだ」と言われるところ。
最初こそ、(独白ではなく発言として)台詞があるシュウの方が存在価値というものに重きを置いているように思わされるのですが、ストーリーが進むとそれは白竜の方だったと分かります。
私は彼が時代に翻弄されただけではなく、本質としてそういう弱さを抱えているんじゃないかと解釈しました。
生まれ持った本質は、たとえ乗り越えたと思っていたとしても、その人の一部であることに変わりない。
チームを導くキャプテンとしての彼と、1人の少年としての彼。それが同時に存在していても不思議ではなくて、むしろ当たり前で自然のこと。
絶対的な強さはあり得ない。だから仲間が必要なんだ。
神童の言葉を「くだらない」と一蹴する白竜をゼロのみんながどこか悲しそうな顔で見ているところ。
彼らは白竜が力を誇示するときいつも"オレ達"と言うことに気付いていたと思います。
島の頂点たる彼が、チームのみんなを信じていた。誇りに思っていた。
それが伝わっていたからこそ、言葉を交わさずとも寄り添い手のひらを重ねたのだと。
「みんな分かっているから」
シュウが最後まで言わせてくれない演出は優しくてかっこよくて、彼らの絆もまた究極だったのだと思わせてくれました。
白竜が何度も言う「究極」という言葉は、その伏線だったと信じています。
EDテーマ『僕らの楽園』がゼロのことを歌っているように思えてなりません。
「誰にだって居場所がある 君をひとりにはさせない」
「誰にだって強さがある 決して減ったりはしない」
僕らの楽園というのは、サッカー界のことであり、チームという居場所のことでもあるんじゃないかと思います。
みんな、これからも楽しいサッカーをしてね。
幸せになってくれ。
言い忘れてたんですが、全人類グリフォン観ろ
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来年こそは本が出ます。
出ます……出しますはい。(出てねえ)
2021-12-22 15:00:14 +0000