百鬼夜行絵巻を描いてみました。
コンテストの存在を知った時、人生で描いてきた絵の9割7分が妖怪な自分にとってまたとない機会になると感じたんですが、如何せんその知った時が最近過ぎて投稿が〆切ギリギリになってしまいました。ちゃんと応募できているとよいのですが。
今回折角なので単に「百鬼夜行」ではなく「百鬼夜行絵巻」を描こうと思い立ち、現在でこそ、貴重な文化財としてガラスケースに収められ全体が開かれきった状態で展示されている絵巻類も、製作された当時は、本のページをめくる要領で少しずつ巻いて、見進めて(読み進めて)はまた巻いてという風に楽しむもの、それこそ本や漫画のように身近な娯楽を提供する創作物だったと考えられる事を鑑みまして、「古×新」というテーマと併せて「スクロールで画像を表示させていく読み進め方」が可能な、複数のイラストからなる一連の作品を目指そうという意識で挑戦しました。それでどんどん構想が膨らんで〆切落としそうになってんだから元も子もない
一応、全部横に繋げてもあんまり違和感なく見れるようになっています。多分。絵巻ではお馴染みの異時同図法っぽい見せ方に挑戦していたり、絵巻物と漫画・アニメ的表象を直結させがちなクールジャペェンムーブに則って如何にも「イラスト」的な表現を取り入れ、或いは逆手に取って妖怪の行進という特殊な画題と其処に付随する物語の演出に深みを与えようと挑戦していたり。成功したとは言っていない。
…まぁ、結構こじ付けです。ダラダラ描いちゃっていざ投稿と考えた時に全部繋げるだけの時間と器用さを持ち合わせていなかったのです。あと画質がしんでしまう。画風もオタクだからオタク臭いイラストしか描けないってだけです。後付けじゃないですよ。こじ付け。自分の能力とお題の兼ね合いで、自分ならこうするなーっていう。工夫。
その分、趣向は凝らしたつもりです。伊達に長くてオタクオタクしてないというか。
更には「百鬼夜行絵巻」に類する作品の系譜の特徴、最も知られている百鬼夜行絵巻『真珠庵本』からキャラクターや構図の引用、サンプリングが多用されているという面も踏襲しました。デザインはガッツリ参考にしつつ、オリジナル要素を混ぜ配置を捻って再構築に挑戦しています。成功したとは言ってn
描きたい妖怪と盛り込みたいネタをどう組み合わせて行列させようかという、凡そ現世で最も愉しい悩みで脳と手を苦しませる至高の悦楽に浸れました。「百鬼夜行絵巻」を手掛けてきた人達は漏れなく多少なりともこの快感に取り憑かれてたのではないでしょうか。
普段通りっちゃ普段通りですけどね。妖怪創作は遍くn次創作。真珠庵本リスペクトの他にもメジャーなものからマイナーを通り越してどマニアックなものまで節操無く取り入れてるので百鬼夜行絵巻ビギナーは勿論、百鬼夜行絵巻沼に肩までどっぷりな百鬼夜行絵巻クラスタにも楽しんで貰えると自負しています。
弊害としては描いてる途中、どんどん欲が飛び火して収集がつかなくなる事が多々々々々有りました。例えば「輿を運ぶ狐と玉藻前を描こう」って決めて描き始めるんですよ。一応。それが「…もう少し狐描きたいからお狐様描こう」となって、ふと「狐→狸といく予定だったけど此処に鎌鼬ブチ込んだろ」と文字通り魔が差し…という具合に。
こういう節操の無さ(自分なりには取捨選択しましたけど)作成計画の遅れに繋がった訳ですね。それで〆切落としてたらほんと悔やんでも悔やみきれないですよね。これほんとに応募できてるんですよね
でも「百鬼夜行」描くのにシンプル一枚絵じゃ寂しいじゃないですか。そこはやっぱり100体。欲しいでしょう。厳密にゃ数えてなんかないけど。中学だか高校だかでもこのテンションで何m級のやつ作っちゃって展示に困ったなぁ
線はオールアナログで仕上がりもアナログ強めですが(実は単純に直撮りして終わりではなく、シワっぽい影を描き足したり、後ろが見切れた風に画面端を黒く塗ったりしています。妖怪の遠近をバラけさせて描いたので、紙に乗せてる!紙面!って感じがメタ的におもろいかなと思ってやりました。実際に影になってたり見切れちゃってる部分も有って、それは普通にノイズです)、〆切落としたらマジで自分のアレさ加減に押し潰されて息し難くなっちゃうと思って泣く泣く切った“場面”が十数程御座いますので、いつかちゃんと揃えてお披露目する際にはデジタル化というかお絵かきアプリに読み込んで色付けるとこまでやろうかなぁと。ただ塗らないからこそ誤魔化せてる部分割とあるので考え所ですね。情報過多になりそうだし
まぁ、いつか、ね。俺は知っているこの「いつか」は相当「いつか」である事を
万一、公に展示されるような賞を頂けた場合は多分(当社比で)確り仕上げます。いや此処も公なんだけどね。ただほんと〆切だけは落としたくなくて。〆切が一番怖いですね。結局
妖怪に纏わる創作は、常に過去の作品から受け継がれたベースと、だからこそ浮き上がってくるオリジナリティとのバランスで形を成します。どれだけ奇抜で前代未聞のビジュアルを有したキャラクターでも「妖怪」のカテゴリに収容した途端に伝統の香りを纏いだします。飽くまで香りを。
遥か古の時代に百鬼夜行の伝説を誰かが絵巻に起こし、その絵巻に触発された誰かが新たな百鬼夜行絵巻を生み出し、その作品がまた誰かの後世の創作にインスパイアを与え、そういった創作を摂取してすくすく育った私が今「新解釈百鬼夜行」を描くという、これも一つの形です。
想像を媒介にして刻々と変化する妖怪達。その姿を創作という形で捉え、後世に残していく、その果てしない流れのほんの一部でも担えたのなら、そして誰かにとって「妖怪」に魅せられる、惹かれる、その端緒たり得るのなら、これに勝る喜びは有りません。
つまり、大好きな妖怪をいっぱい描けて幸せです。ありがとうございました。キャプションパンパンでワロタ
2021-06-13 14:56:33 +0000