「今日の現世神サミット、無事終了を祝して、乾杯!」
「昼の会食でさんざん飲み食いしたでしょうに、まだそんなに飲むんですか?せめて何かしら胃に入れないと悪酔いしますよ」
「あだっ!金棒はやめて鬼灯君!」
いつものように上司に過剰に檄を飛ばす鬼神・鬼灯は、普段の黒い道衣ではなく、湯上がりの浴衣姿だ。低い卓を挟んで向かい合うのは、泣く子も黙る閻魔大王…のはずだが、今は身長165センチくらいの、浴衣を着たただの小太りなお爺ちゃんに見える。
地獄で裁判を担う面々は多忙だ。実務を担っているのは部下だが、トップとしての責任と公務は多岐に渡る。ここ千年くらいは仕事以外で旅行などできていない閻魔大王としては、出張のついでに温泉宿なんかに泊まるのが貴重な楽しみなのだ。今日は鬼灯を伴い、現世で開かれた国際会議に参加するついでに、現世にできた妖怪専用旅館「やまや」に泊まりに来た。身長を低くする変装をしているのはそのためだった。
「秋の行楽シーズンで一般鬼用の一部屋しかとれず、申し訳ありません」
「いいんだよ鬼灯君。今回は現世の中の移動もあったし、この変装、するのも解くのも結構大変だしねぇ…それにワシはまた鬼灯君と旅ができて楽しいよ」
「あの時私を無理やり起こそうとして痛い目見たのを忘れたか」
「だ、大丈夫もうしないよ!」
鬼灯はギロリと一瞥する。そんな会話をしているうちに、山姥の女将や仲居さんが出入りし、テーブルの上には豪華な夕食の用意が整った。
「わあ、美味しそう!」
「…この飾り切り、凝ってますね…どう包丁を入れたらこうなるんでしょう…」
「…君ねぇ、こんなときまで仕事のこと考えてるの?」
「当然です。いつまたサタン王辺りが急に接待しろとか言い出すか分かりませんから」
「君さ、もう今日のお仕事終わったんだから、美味しいもの食べてゆっくりしたらどう?」
「上司目の前にしてオフになんてなれるわけないでしょう」
「…え?」
閻魔大王は、刺身を口に運びかけたままきょとんとしている。鬼灯は泡の消えかけたビールに口をつけながら「何か?」と睨みつけた。
「…ワシは仕事終わりに鬼灯君と飲むのを楽しみにしてたのに、君にとってはただの飲みニケーションなわけ!?」
「当たり前でしょう。上司は上司です。それ以上でも以下でもありません」
「そんなぁ。ワシ的には親子水入らずのサシ飲みみたいなつもりだったのにぃ」
「…は?」
今度は鬼灯がフリーズする番だった。つまみ上げた箸から銀杏がぽとりと落ちた。
「いつから私と大王は親子になったんです?」
メキャっと嫌な音がしたのは、金棒が閻魔大王の頭にめり込んだからだ。
「あ痛たたたたたた!だってぇ、ワシ、鬼灯君の名付け親みたいなもんでしょ!?」
「…名付け親…」
確かに『鬼灯』というこの名前は、閻魔大王がつけたものだ。鬼となり黄泉に来て間もない頃、声をかけられ、名前を聞かれた。そこで丁、と答えたのは、他に名乗る名などなかったからだ。しかし閻魔大王は鬼火と丁という情報だけで、即座に『鬼灯』という言葉を導き出した。
自身の生い立ちを表す名。
そして亡者を導く灯りの名。
人の生の内には得られなかった初めての贈り物だった。以来ずっとこの名を名乗っている。その後獄卒となり再会したこと、2代目の閻魔大王第一補佐官に抜擢されたことが、嬉しくなかったといえば嘘になる。だが、上司と部下の関係になった今、はっきりと線引きをし、深い関わりは持たないようにしてきた。
思えばこれは、人間だった頃からの癖だ。家族への憧れ、愛情への欲求は、常にあった。だが、よそ者で、奴隷として扱われていた孤児に、差しのべられる手などありはしなかった。勝手に余計な期待をして、傷つくのはこちらなのだと、いつからか諦めていた。
「…大王には普通に奥方もお孫様もいるじゃないですか。それを差し置いて子を名乗るほど私はおこがましくありません」
鬼灯の声にはさっきより不機嫌さが滲み出ている。苦虫を噛み潰したような顔で、コップの底に残ったビールを一気に煽った。
「鬼灯君を名付けたのはワシだからね。鬼灯君は、ワシの家族でもあるんだよ」
閻魔大王はにっこり笑った。鬼灯は言葉を返すのも忘れて困惑した。家族など、自分とは一番縁遠い言葉だった。でも、何よりも誰かに言ってほしかった言葉でもあった。
「…家族、だ、なんて、そんな…」
頭を掻き、急にしどろもどろになった鬼灯に、大王はビール瓶を向けてコップを持つよう促す。
「じゃあ今だけでもさ、家族団欒みたいにしてみようよ。今、誰も見てる訳じゃないし」
「…と、言われても…」
この数千年生きてきて、初めてのことだ。なんだか急に気恥ずかしくなってきてしまった。鬼灯は注がれたビールを一気に飲み干し、瓶を受けとる。
「…家族とか親子とか、ってなんなんですかね」
「う~ん、そうだねぇ…一緒にいて安心できる、っていうのが一番なんじゃないかな?ありのままの自分でいることをいつでも肯定されてる、そんな関係のことだと思うよ。君は、普段通りにしながらゆっくりしたらいいの」
「普段通りにしながらゆっくりする…」
「そうそう。鬼灯君も、今は家族と一緒にくつろいでる気分でいればいいんだよ」
鬼灯は考え込みながら、大王のコップにビールを注ぐ。
「…その感覚が、私、根本的には分からないんですよ。難しいんです。前に一度、失敗してしまって。教科書で学ぶようなことでもないですし、生活の中で身に付けるものだというなら、私にその機会はなかったので」
以前茄子の家を訪問したとき、「…極端にくつろいだ!」と呟かれたことを、実は内心気にしていたのだ。
「そうだねぇ…」
閻魔大王は思案しつつ茶碗蒸しを口に運ぶ。
「一緒にいる時間を楽しむ、って感じかな。お喋りしてもいいし、静かに楽しむもよし、みたいな…お互いに安心してれば、どんなことしてても楽しいものだよ。さ、まずは食べよう。冷めちゃうよ」
「…はい」
改めて箸を持つも、ただ食べる以外にどうしたらいいか正直分からない。仕事の話や愚痴ならばいくらでも湧いて出てくるだろうに。いつもの二人には似つかわしくない沈黙が続く。
ふと、窓から秋風が一縷、吹き込んだ。色鮮やかな紅葉が一枚、二枚と畳の上に落ちる。涼やかな秋の空気が、風呂上がりの火照った手足、頬を心地よく冷ました。
「…綺麗ですね」
窓の外を眺める鬼灯につられて。閻魔大王も外を見遣って笑顔になる。部屋明かりに照らされ浮かび上がる紅(くれない)はより一層色濃い。
「本当だねぇ。美事だよ」
「ここ何年も、紅葉なんてちゃんと見ていなかった気がします」
「虫の声もいい音色だねぇ」
ぽつりぽつりと、感想を言い合って、少し照れくさそうに、そっと杯を交わす。
(…ああ、こういうことなのか)
特別な言葉などいらない、けれど特別な時間が、確かに今ここにある。
「…なんだか、変な感じですね」
ぽつりと呟いた言葉は、閻魔大王に聞こえたのだろうか。答えの代わりに名付け親は微笑んだ。静かな団欒の続きがどうなったかは、秋の虫たちだけが知っている。
2020-10-24 08:10:01 +0000