クサンティッポス「……契約条件を呑んで頂けるのなら、カルタゴの勝利をお約束致します。お認め頂けぬなら、私は勝利を保証することが出来ませんし、私自身と長年ついてきてくれた部下の命を預ける気にはなれません」
カルタゴ貴族「ほう……言ってみたまえ。褒賞と名声、それ以上に何を望む」
ク「私にカルタゴ全軍の総指揮権を、それに伴い編成も訓練も一任して頂きたい。カルタゴ人に航海術を説くほど私も愚かではありませんが、船頭多くして船山に上るという言葉もありましょう」
カルタゴ貴族「傭兵に全軍の指揮権を?大きく出たものだ。それでローマに勝利することが出来ると?」
ク「ローマに勝てるか? 戦力は十分です。私がその使い方を御覧に入れましょう。皆さんは無花果でも齧って私の後ろに控えて頂ければ結構です。スパルタ人は口先だけの奴を信じません。Videre est credere(百聞は一見に如かず)とローマ人も言うでしょう。カルタゴの“戦力”は決してローマに大きく劣るものではありません。騎兵も象も歩兵も十分、先ほど申し上げた通り使い方がよろしくない」
カ「大した度胸であると認めるが口に気をつけるのだな。兵は劣らぬが用兵に難がある、つまり君はカルタゴ指導層の指揮を、すなわち百人会を批判しているのだぞ」
ク「おっと……長らく戦場に身を置いていたもの故、言葉の矢を交わす際の機微に鈍くなっておるのやも」
カ「ラケダイモン(スパルタ)の食わせ者がぬけぬけとよく言ったものだ。いくら君の故郷が口数の少ない者を尊ぶとはいえ、その機微を解さぬただの武辺者がこれまで生き残ることが出来る訳があるまい。君が我らを焚きつける為に酒場や広場で自身や部下の口から我が軍指導部の批判を広めていたことは知っている。遠からず百人会の耳に入って召喚されることを見越してな。この国の内外で百人会がどれほどの力を持ち、どれほど恐れられているかを知りながら……実に豪胆なことだ。そして君は“品物”を必死に売り込むよりも、客に呼ばれて出向く方が高値がつくと知っている。少なくとも君はその程度の芸当が出来る知恵と器用さを備えている。誉れ高きスパルタの名を語る割に大した狐ぶりだ」
ク「随分と高く評価頂いているようでありがたいことですな。いや、お目が高いと申し上げるべきかな」
カ「祖国の命運を預けるのだ。半端者であっては困る。戯言は終わりだ、条件を認めるよう百人会の有力諸氏に働きかけよう。しかし肝に銘じるが良い、本来カルタゴ貴族が率いる軍を傭兵に任せるのだ。結果を出さねばその身が如何なる憂き目に遭うか、よくよく覚悟しておくことだ」
ク「無論、百人会の賞罰については重々承知しております。一冬の間に世界に無比なる軍を鍛え上げ、ひとたびローマと干戈を交えたなら、彼らの軍団を悉く打ち破りましょう。ローマの軍旗と貴族や百人隊長の兜で築いた山をカルタゴとその神に捧げることを我が父祖と故郷の武名に懸けてお約束致します。1万を超える軍勢があるのです。かつてスパルタの父祖と友軍がテルモピュライに配した戦力を思えば贅沢の極みと言えましょう」
――数か月後、チュニスの戦い(バグラダスの戦い)前日
副官「……ローマ人が我々のことを何と言ってるか聞きましたか? スパルタの誇りを金の為にカルタゴ人に売って、その尻を舐めていると」
ク「放っておけ、わかるだろ?」
副官「……明日には皆、物言わぬ静かで行儀の良い連中になっている」
ク「ハッ、そういうことだ。お前も少しはわかってきたじゃないか。ラケダイモンは言葉ではなく行動で示す、世界のどこにいても基本を忘れるな」
――というやりとりがあったかはわかりませんが、クサンティッポスがカルタゴの首脳部である百人会を批判したり、煽ったりしていたという話はあるようです。
紀元前264年~241年、23年に渡って地中海の覇権(主にシチリアの支配権)を巡り争ったローマとカルタゴの第一次ポエニ戦争はローマの勝利に終わりましたが、カルタゴ軍がローマのそれに決定的に劣っていたかというとそういう訳でもなく、幾度も勝利を収めている場面を見ることが出来ます。勝敗はその瞬間ごとの軍事力だけでなく、政治機構や構成員の目標・哲学、生産力、人的資源、柔軟性など様々な要因が左右するのではないかと思われますが、この大戦の最中に懐かしい地名、興味深い人物が一人現れるので今回はそれを描いてみました。カルタゴに雇われたスパルタ傭兵の指揮官であるクサンティッポスです。
かつて全ヘラスにその勇名を馳せ、畏怖の念を以て語られたスパルタですが、前4世紀にマケドニアの覇権に抗して鎮圧されるなど、徐々に衰退の兆しを見せておりました。3世紀半ばにおいてはその最盛期の様にギリシア諸国に覇を唱えて存在感を示す大国ではなく、数々の指導者が改革を試みるも周囲に勃興した国家との戦いに敗れ、共和政ローマと干戈を交えて最終的に独立国家としての地位を失っていました。前2世紀には全ギリシアがローマ属州となる訳ですが(幾らかの自治権はあるものの)、そうした状況下でスパルタ人がどの様に暮らしていたかは非常に興味深いところです。かつての栄光と矜持を胸に、新興のローマ人をどの様に眺めていたのか。
イタリア半島のローマと北アフリカのカルタゴが繁栄を遂げれば、その中央にあるシチリアが闘争の舞台となるのは自明のことですが、カルタゴは前256年に両軍各300隻もの艦艇で争ったエクノモス岬の戦いで大敗北を喫しました。カルタゴはローマに講和を提案するものの、ローマの条件はシチリアやサルディニアなどの島々と全艦隊の引き渡しであり、通商を重んじるカルタゴへの死刑宣告に等しいものでした。
そしてアフリカ本土の決戦に到るのですが、そこに現れたのがカルタゴがありったけの金を払って招聘したスパルタ傭兵クサンティッポスです。大金を積むほどの名声がどのようなものであったのか詳細や経歴が非常に気になりますね。彼はカルタゴがローマ軍を必要以上に恐れ、平野での戦いを忌避し、その保有戦力を活かせていないことを見抜いて訓練を引き受けます。特に騎兵と象という強みを十分に活かすことができていないことを知った彼は一冬の間に軍を鍛え上げ、ローマを打ち破ることを約束します。
年が明けて紀元前255年、平地での野戦に向けて準備を整えたクサンティッポスはローマの執政官レグルスのローマ軍を迎撃しました。ローマの戦力は歩兵15,000と騎兵500、カルタゴ軍は歩兵12,000に騎兵4,000、象が100。中央にファランクスを布陣し、傭兵を右翼、最前面に戦象を並べ、左右に騎兵を分割して配置しました。
*画像4枚目へ続く
2020-08-23 15:28:19 +0000