延元三年/歴応元年(1338)に赤松範資が林直弘に宛てた軍忠状に鳥取尾城(山崎城)を警護する旨の書状が山崎城の文献上の初見である。文明二年(1470)では山名是豊が布陣、文明十四年(1482)に細川政元が入城している。天正十年(1582)の山崎の戦い後、羽柴秀吉が山崎城を改修した。
2020-05-13 11:21:43 +0000