大正3年、名古屋電気鉄道に初の丸屋根電車が登場した。その名も187号、火災に遭った郡部線用単車(→デシ500)の車体復旧車である。
この年の9月6日、名電市内線の市営化論に端を発した騒動が激化し、遂に電車焼き討ち事件が発生するにいたった。こういった現象は名古屋だけでなく他の大都市でも見られ、市内電車や電気・水道の公営化が大きなうねりとなっていたのだ。
そしてこの焼き討ち事件に巻き込まれたのが郡部線用車両の168形、のちのデシ500形であった。この時車体を焼損したのが187号だった。(ちなみに168形の名称は、郡部線の車両の車番が168~と、市内線の続き番を採用していることから来ている。のち市内線の車両と車番が重複したこともあったが、走行区間が全く違うため問題にならなかったらしい)
こうして車体を新しく造り直した新生187号が登場する。当時の電車は車体は木造だったものの、台枠や車台は鋼鉄製だったため、これを流用して容易に車体の復旧ができたのである。
新生187号は屋根がそれまでの二重屋根(ダブルルーフ。明り取りの天窓が付く)から、現在の鉄道車両に近い丸屋根へと変更された。これは我が国の鉄道車両における丸屋根の早い採用例になった。
また、それまで吹きっさらしだった乗降口に扉が付き、車内環境が改善された。一方で、側窓の上に付いていた明り取りの窓がなくなり、デシ500らしさが少し失われてしまったのがちょっぴり残念な所・・・
車内には中仕切りが付き、大小2室に区分されたのも特徴であった。
187号はのちにデシ520へと改番され、デシ500形の一員として郡部線での活躍を続けた。さらに昭和2年は荷物合造車デシニ520へと改造、連結器をねじ式から自動連結器へと交換している。数奇な運命を辿ったデシニ520号が廃車となったのは昭和14年。新名古屋駅の開業を待たずに、名電出身の異端車は表舞台から姿を消していったのである。
2020-04-30 15:54:57 +0000