1 知性について
知性すなわち知的生命活動能力とは、
環境の違いや変化に応じて活動を制御することにより、
より良く生きられる能力です。
具体的には、『ああいうときは、ああなる』(法則)
『こうすれば、こうできる』(技術)といった、
物事の間の因果法則を発見し、利用する能力です。
知的生命活動の|過程《プロセス》は、『どうなっているか知る』(認識)、
『どうすべきか考える』(決定)、
『そのとおりにする』(行動)という三つの段階からなります。
2 文明について
文明とは、高度な技術をもった知的生命活動の様式です。
〝様式〟というのは〝ある社会集団に共通する形式〟なので、
文明活動とは、高度で社会的な知的生命活動ともいえます。
そこで文明活動も、個人の知的活動と同様に、
科学・技術(認識)、制度・政策(決定)、
経済・社会活動(行動)の三種類に分けることができます。
ただし、個人ではなく社会全体の活動のあり方なので、
人々が技術の発達に応じて、実際に色々なことをしていく中から
『ああいう時はああすべき』(法規)といった決めごとができます。
そこで個人の個別的活動と文明全体の長期的活動では、
決定と行動の順番が入れ替わるとか、
公平で効率的な|規則《ルール》という形式が重視されるといった違いがあります。
また生命活動は、生存に必要なものを得て、分けることで営まれます。
文明活動においても、このことは変わりません。
文明活動の本体は、全ての人々が営む経済・社会活動ですが、
自然からより良く富(財、資源)を得て、
経済・社会活動を豊かにするために分業化した活動が科学・技術、
人々の間でより良く富を分けて、
経済・社会活動を健全に保つために分業化した活動が制度・政策である、
といえます。
技術と政策は、文明活動の本体たる経済・社会活動を支える、
二本柱といえましょう。
この点からいうと、文明とは高度な技術と政策を持った
知的生命活動の様式である、ともいえます。
さらに、これら三つの文明活動には、それぞれの必要条件として、
物的資源、人的資源、自然・社会環境という、
三つの環境条件を考えることができます。
技術は物的資源に具現化されないと社会を豊かにできず、
政策は人的資源により実現されないと社会を健全に保てず、
政策による技術開発には自然・社会環境が影響するからです。
そこで、以上六つの文明要因から文明活動を理解・予測し、
皆で今後の社会を考えるのに役立てていけたらというのが、
私見『文明の星』理論(仮説)の趣旨です。
3 科学・技術について
文明活動の始まりとなる認識の部分が、科学・技術ですが、
ここではまず、因果法則の発見が重要となります。
「科学の本質は法則の発見にある」といった言葉を、
聞かれたことがある方も多いと思います。
しかし物事の間の法則性は、すぐに正しく分かるとは限らず、
推論と空想の境界は連続的で、これは広い意味での想像といえます。
まず自然科学では、観察をもとに仮説を立て、実験などで検証し、
その仮説が実証されて初めて、法則として認められます。
また社会科学では、全くの空想概念も、
人々が効率的に動けるような、社会工学的技術を可能にします。
権利・義務・法人格などの法律概念や、貨幣の価値、
あるいは宗教の教義などがこれに当たります。
知性の第一の特色とは、
合理的な推論から完全な|虚構《フィクション》にまで及ぶ想像力であり、
それが自然や社会についての科学・技術を可能にするのだと
思います。
4 経済・社会活動について
科学・技術は経済・社会活動を拡大・省力化すると共に、
複雑・加速化するので、人間の欲求を質的・量的に無制限化します。
複雑化した文明活動は、遺伝的に組み込まれた本能だけでは営めず、
また生活の向上は、さらなる改善を求める余裕を生むからです。
このことは、文明活動という高度に知的な生命活動においても、
生命活動とは生物と環境の相互作用の|過程《プロセス》である、
ということを示しているのではないかと思います。
人間は技術によって自然・社会環境を変えていきますが、
それにより、人間自身も変わるのです。
しかし、相互作用はそこでは終わりません。
5 制度・政策について
人々の欲求や価値観(欲求の体系)の多様化は、
様々な欲求や価値観同士の衝突の可能性も増やすので、
社会的な利害調整のため、新たな制度・政策の必要性を生み出します。
また、ある技術水準のもとで政策が利害調整を極める一方、
人間の欲求はその制約を超えようと、さらなる新技術も求めるので、
その健全な開発・普及のため、新たな技術的政策も必要となります。
技術によって(自身を含む)自然・社会環境を変えた人間は、
新たな制度・政策を作って変化した環境に適応しつつ、
より良い生活を求めて自然・社会環境に働きかけるべく、
さらなる新技術を追求していくのです。
6 まとめ
以上のことから〝知性〟とは、
第一の特色である〝限りない想像力〟に加え、
第二の特色として〝限りない欲求〟も必然的に伴い、
含むのではないかと思います。
するとこれらは、世界史のルネサンスで学んだような、
良くも悪くも合理的に考え、自由を求める
〝人間性〟と重なるのではないでしょうか。
知性は人間性とほぼ同じものであり、
それが技術や政策の創造を可能とし、
必要とさせるのだ、という見方です。
あえて知性と人間性の違いをあげるとすれば、
知性は限りない想像力の方に重点を置き、
人間性は限りない欲求の方に重点を置いた言葉である、
ということでありましょう。
また、今では人工知能(直訳では人工知性)という、
|電算組織《コンピュータシステム》に法則性の発見・利用を可能とさせるような、
自己学習型の|演算指示《プログラム》も発達しつつあるので、
独自の生存欲求(意思)を持たない知性もありえます。
加えて、人間性といっても、狭い意味では、
社会的に望ましい欲求の部分のみを指すことも多いです。
しかし広い意味で言えば、知性と人間性は同義であり、
それらは限りない想像力と欲求を二大特色とし、
想像力が技術、欲求が政策という、
文明の二本柱を生み出すのだと思います。
限りない想像力と欲求を持った人類の知性(人間性)は、
限りない可能性と危険性を備えています。
両者を増幅するのが技術であるとすれば、
前者を最大化し、後者を最小化するのが政策といえます。
技術なくして文明の発展はなく、
政策なくして文明の持続はないともいえましょう。
人類が今後も、新たな技術と人道的な政策により文明を発展させ、
繁栄し続けていけるよう、願っています。
2020-04-26 11:52:23 +0000