囚われの王子を盗み出す怪盗
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その国には、見目麗しい若き王子がいた。
王国とは名ばかり。半世紀前のクーデターで政権は民衆に渡り、像ばかりの王族はただ静かに玉座に控える。その役割は外交。大臣たちに命じられるまま、接待をし、時には危険な地域にまで足を延ばす。優雅な暮らしは全て国民や所外国へのアピールであり、そこに本人たちの意志はない。
普段の食事は、栄養価だけに重点が置かれている。美しい肉体を保つ為に与えられるのだ。普段の衣装も。固く締め付ける拘束具の如き服は、細い腰や柔らかく丸い尻を作る。徹底的に躾けられた、行動規範。それを基準に動いているうちに、喜怒哀楽は行方知れずになってしまった。
国民たちは皆、彼らを愛していた。
王子も同じ。その陽だまりのような笑顔につられて微笑まない人間はいない。
ただ、彼の地位と美貌により、一際過酷な使命も背負わされている。
その国には、世間に名の知れた怪盗がいた。
仕事ぶりも神出鬼没、派手な手口はエンターテイメントの如く。人々は、彼の活躍を求めて新聞に群がり、夜空を華麗に駆ける姿に声援を送った。
彼は宝石や芸術品など、美しいものばかりを狙い──そして、容姿に評判のある『人妻』の心をも華麗に持ち去っていく。派手で、破天荒、目立ちたがり。彼の生活はさぞ豪華で贅沢なものだとうと、誰もが羨望の眼差しを向けていた。
しかし、彼の日常は退屈だった。
本当は、贅沢に興味などない。味気ない食事はいつも同じ。洒落た服は好きだが、皆に注目される怪盗服しか欲しくない。
唯一欲したのは、背徳的な恋愛。誰かのものである心を横取りする高揚感。スリリングな不倫をしている間だけ──彼は、自分が生きているのだと実感した。
しかし、それも花火のように一夜で消える。
攪乱用に工作した花火が、見上げる人々の顔をきらびやかに照らす。群衆に紛れて姿を消す彼は、夜空を見上げもしなかった。
怪盗はついに、王宮へと盗みに入る事にした。
目当ては財宝も勿論だが、年頃に育った王子の美貌でもあった。清廉潔白、凛と佇む姿に夢中にならない娘はいないと評判の彼。
今まで、男だと思って眼中にも入れなかった。しかし──一国の王子の心と身体。それは、今までのどんな地位の高い人妻にも及ばない宝玉なのではないか。ふと浮かんだ名案に、いてもたってもいられなくなった。
計画を練る彼の、情熱を宿す瞳。それは恋をする青年のようだったと、数少ない知人たちは語る。
厳重な警備を、難なく抜ける。
宝石店も遥か及ばない財宝から、彼は国一番の巨大なルビーだけを掴み取り、ポケットに押し込んだ。身軽に、スマートに。みっともない欲はかかない。それが彼の美学。
城のそこかしこで眠る衛兵たちは、あと2時間は目覚めないだろう。
王子の寝室の場所も、完璧に下調べしてある。廊下の窓からひらりと身を乗り出し、尖った屋根の急斜面を駆ける。目的の部屋に飛び込むと、薄い紗の白が視界を目映く照らした。
覆いかぶさるカーテンを、手の甲で払う。
目的の宝玉は、呑気にゆっくりと瞳を瞬かせながら、賊を眺めていた。
こうして、怪盗は今夜も略奪に成功したのである。
「どうして、何も抵抗しなかった? 命を狙った賊かもしれないだろ」
王子はとろりと眠たげに目を細め、怪盗の背を眺める。全てを奪った男らしからぬ問いに、可笑しさが込み上げた。
「暗殺者がここまで辿りついたなら、僕はその時点で死ぬ運命だよ」
達観しているのか、諦めているのか。怪盗は、シャツに袖を通しながら、抱いたばかりの王子を振り返る。
優し気な微笑みの裏は読めなかった。贅沢に暮らし、この国の幸せの象徴として生きている筈の王子。裸の肩を晒したまま気だるげに微笑む姿が、妙に空っぽに見えるのは何故だろう。
「……初めてじゃなかったのか」
違和感の正体がわからないまま、怪盗は問う。
「うん。それが仕事のようなものだから」
「は? 娼婦じゃあるまいし……」
口にしてから、ハッとする。こいつらの仕事は、外交。だが、交渉は大臣たちの役割だ。だったら、何をする? 食事やパーティだけ? 国力の低いこの国の、その程度の『接待』に、何の力があるというのか。
さっさとお暇とばかりに身支度をしていた怪盗だった。だが、珍しく好奇心が芽生える。もう一度隣に身を横たえると、王子の顔が心なしか緩んだ気がした。
それから、ゆっくりと時間をかけて。彼の日常を聞き出す。平民なら誰もが憧れる、王族の暮らし。それが、ただ搾取されるばかりの人生だと知り、怪盗は愕然とした。
王子は問われるまま、素直に話した。自分の意志で生きた事などなく、家畜のように管理され、搾取される。
「でも、今日は嬉しい」
怪盗は知らない。王子が心から笑うのが、今が初めてだという事を。
「国が潤わないのに、しちゃった。悪い事って、どきどきするんだね……怪盗くん?」
たったそれだけの行為を『悪い事』と言うなら……自分は。
いたたまれないような、苦しいような。──それなのに、目の前がやけにきらきらする、この胸を掻き毟られるような感情はなんだ。
どんな刺激的な盗みも、略奪愛にも、こんな高揚はなかった。
──欲しい。
胸に浮かんだ言葉に、何をと問いかける暇もなく。寝室になだれこんできた衛兵に、彼は取り押さえられる事となる。
朝日に気付かないなんて、彼の人生で一番の大失態だった。
王宮への侵入、国宝の略奪。そして──公表はされていないが、王子への凌辱。
本来なら即刻死罪も免れなかった怪盗が、こうして五体満足で釈放される筈がない。あれから三日と経っていない。なのにのうのうと元の生活へ戻った自分を、怪盗自身が信じられないでいた。
ゴミのように自宅へと投げ込まれた数分後、とんぼ返りで王宮に忍び込んだ怪盗は、この国のトップたる数人の大臣の会話を盗み聞きする。
──王子は、病死という事にする。
──仕方あるまい、あのような大国に攻め込まれては、ひとたまりもない。
──それにしても、かの国王は業の深き事よ……『人肉食』とは。
──王子自身も、了承済みだ。上手くやってくれるだろう。
──あのような下賤の賊ひとりの命で納得するなら、容易い事だ。
漠然とした会話。なのに、残酷なほど事実は明白に、耳から突き刺さった。
そんな事が、許されるのか。王族とは、人としての尊厳が、奴隷にすら及ばないものなのか。
別にいいんだ、と微笑む彼の顔が脳裏に浮かんだ。
一度抱いただけだ。俺に、何がわかる。
けれど。
怪盗は、決意する。
自分の最後の、大仕事。この国の存亡をも危うくする、大略奪だ。意思がない? 上等だ。むしろ都合がいい。本当の幸福も、感情の揺れ動く尊さも。全部俺が奪ってから、詰め込んでやる。
そう、たった一夜の喜びに、命を差し出そうとまでした、愚かな王子に。
そして、やがて戦乱に落ちるであろう王国から──ひとりの王子と、ひとりの怪盗が姿を消したのだった。
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2020-04-15 12:26:12 +0000