北朝の観応2年(1351年)2月26日。高師直・師泰兄弟は、上杉修理亮(実季?)の襲撃を受け討たれた。
洞院公賢の日記『園太暦』によると、この時、師直兄弟と運命を共にした中に、鹿目左衛門尉・鹿目平次兵衛尉(『太平記』では鹿目平次左衛門)という者がいた。これが、記録に残る鹿目氏の初出である(ただし「かなめ」ではなく「かのめ」)。
この事から、鹿目氏も高氏同様、高階氏から別れた一族という説があるが(太田亮『姓氏家系大辞典』)、実態はよく分かっていない。
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1130845/885
鹿目氏は会津若松で栄えた。会津藩士に鹿目常吉の名が見られ、孫の善輔は旧日本軍で海軍少将となった。高氏庶流の彦部氏は福島県に「苗字の地」があり、あるいは影響があったのかも知れない。
現代でも、鹿目氏の4割以上は福島県在住であり、福島県でも6割以上が会津若松の鹿目さんである。
https://myoji-yurai.net/myojiPrefectureRanking.htm?myojiKanji=%E9%B9%BF%E7%9B%AE
鹿目まどかさんの先祖が何者なのかは、わからない。
しかし、会津鹿目氏の一族が、隣県である群馬県見滝原に移住したと考えても、不自然では無いだろう。
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魔法少女の概念である円環の理が、魔法少女と関係のない相手の前に現れる事は有り得ません。
しかし、設定上有り得ない事でも描けるのが、二次創作のよいところと開き直ってしまいましょう。
足利直義との政争で敗れ、出家させられた高師直が、鹿目氏の係累かも知れない、不可思議な少女に出会っていたら。話をしてみようと思い立つ事があったら。
「知らないことは何もない」円環の理は、もちろん、全てを承知の上で、自分からは何も話さない。ただ穏やかに相槌を打っている。
そんな情景を想像しました。
2020-03-04 19:05:06 +0000