豊後佐伯の夜刀神、トビノオサマです。
智勇兼備と謳われる佐伯惟治というお殿様がおりました。
しかし大永7年(1572年)謀叛の罪をかけられてしまいます。
冤罪を雪ぐため落ち延びた惟治でしたが、臼杵長景に追われ
日向(現在の宮崎県)の尾高智山でもはやこれまでと自害します。
明けて翌年大永8年、臼杵長景は病死、
各地で異変や災厄が相次ぎ、怨念と噂されました。
「富尾神社」はこの時惟治の怨念を鎮めるため建立されました。
惟治が自害した尾高智山には胴体を祀った「尾高智神社」が、
家臣が命辛々持ち帰った首印は「御頭神社」、刀と脇差は「鴟尾神社」に祀られ、
その他にも日向/豊後の国境一帯に惟治を祀る神社が20あまり建立されました。
惟治は今現在も鴟尾権現(とびのおごんげん)として尊称され、
地元の人々は毎年神楽を奉納しているそうです。
蛇神「トビノオサマ」とされる理由ははっきりしませんが、
豊後佐伯氏は大神姓であり、蛇神信仰が深いことと関連があるようです。
<個人調査メモ>
「鴟尾(しび)」は瓦葺屋根の大棟の両端につけられる飾りの一種で、
よく知られる「シャチホコ」などの様式の原型となりました。
鴟尾の「鴟」は怪魚の一種で、海水を吹き雨を降らす魔力を持つと信じられ
火事を防ぐお守りとして載せられるようになったとも言われています。
水神と蛇神は深い関わりがありますから、言い伝えられるうちに
同一視されるようになったのかもしれませんね。
2019-05-06 17:49:57 +0000