犬養木堂、犬養毅です。郵便報知新聞の見習い記者。
こちらは後の「犬養毅」の名があまりに重いのと、当時は木堂だったので…。
(実際は2月段階ではまだ「木堂」ではないんですが)
「明治期の犬養毅」時任英人著 によりますと
14歳の時にコレラで父を失った犬養さんは、とにもかくにも貧乏でした。
木堂さんはもともとは漢学に通じておりました。
でもいきなり英語をおっぱじめ、岡山県から慶応へ。
「経済学者」になるには英語、洋学が必要だったから。
貧乏だからね…
上京後、彼は学費と生活費を稼ぐために、夜は新聞記事を書くバイトをしていました。
極貧だったらしいです。
おかげで大学に「学友」はできず、ぼっちだったそうです。
が、「逆に勉学には丁度いい」なんてうそぶいてます。
貧乏を蔑まれ、金持ちボンボンキザ学生とケンカになったこともあるそうな。
負けん気だけはやたら強い!
そんな折、郵便報知新聞が、西南戦争の取材に行ったら
学費を全額出してあげると言ったんで飛びついたのですよ。
史実の彼はそんなに背は高くないです。
伝の背が低い設定なのと、タフさとを考慮してこうなりました。
2019-04-17 07:32:09 +0000