サークル田原坂46の漫画「雲よ、伝へて!」では、日本初の戦場ジャーナリストとなった人らを描いていきます。
「福地桜痴」はこの場合「福地源一郎」の方が正しいんだろうなあ
と悩みましたが、知名度とわかりやすさで、あえて桜痴を選びました。
当時はまだ新聞は世間的に(ニーズはあったんですが)認められておらず
「マスゴミ」どころか、マジでゴミカスのように扱われておりました。
福地桜痴は、維新政府に対して「これではまるで幕府とやってることが変わらない」
と批判したのですが、そのかどで逮捕されます。
危うく切腹のところを救ってくれたのは木戸孝允でした。
福地桜痴は東京日日新聞の主筆になり、西南戦争を現地取材します。
実際に戦地を歩いてて、村田新八の息子、岩熊のものらしい手帳を拾ったのは福地さんだとか。
「官軍」認可、いわば官軍プロパガンダに近い立場をとる福地。
彼にはそれなりに理由がありました。木戸さんに借りがあるのもあるんだけど
まず、日本においてジャーナリズムをきちんとしたものに育てること
きちんとしたディベートの場を作り、新聞の地位を向上すること
瓦版でなく正しい報道を心がけることで、人々から不安をぬぐい去ること…
でも、同じ時期に見習い新聞記者であった犬養さんは「民」側についた。
当時は犬養の記事も庶民には人気でした。
彼は彼で考えがあって…
それはこのずっと後の、自由民権運動へつながっていきます。
長崎出身、語学堪能
口癖は「吾曹曰く(わがそういわく)」←「ソースは俺」の意味。当時「わがそう先生」と呼ばれてた。
福沢諭吉と並んで2福と呼ばれるジャーナルの双頭だったのに
政界スキャンダルで大バッシングを受け、鬱になって以後はSFっぽい小説なんかを書いたりしておりますよ。
2019-04-17 07:08:24 +0000