架空歴史地図シリーズ05

ドナウ連邦建国史
Preview Images1/22/2

アメリカ内戦
 1946年まで10年近く続いた動乱は2000万人近くの死者を出したといわれる。1920年代にアメリカは空前の好景気を迎えたが、実際には国内消費は冷えており農民は破産寸前だった。1929年の株式市場暴落はアメリカの経済腐敗を明らかにし、農民と労働者は失業と飢餓に突き落とされた。フーヴァー大統領の経済政策は失敗を重ね、北部ではジャック・リード率いるアメリカ・サンディカリスト党が、南部ではヒューイ・ロング率いるアメリカ第一党が反動勢力として伸長、政治的テロルが繰り返され、1936年時点でアメリカの治安は壊滅的に悪化していた。
 1936年末、翌年の大統領選挙で過激派が勝利することを防ぐため、議会は熱烈な愛国者を自称する軍人ダグラス・マッカーサーにサンディカリスト党員と第一党員の弾圧を命じた。こうして、1937年1月の大統領選挙まで「血の4か月間」と呼ばれる一斉検挙が行われた。しかし、このテロルは過激派を抑えるどころか過激派の武装化を促していった。
 1937年1月、サンディカリスト党と第一党抜きの大統領選挙が行われ、民主党と共和党による挙国一致グループ「自由ブロック」のジョン・ガーナーが当選した。候補者は1人のみという異常な選挙であり、アメリカ国民の世論は憤慨、くわえて選挙直後の政治的空白を利用し過激派による反撃テロルが始まった。同年4月にはサンディカリストによる一斉蜂起が起こり、「アメリカ・サンディカリスト国(CSA)」が誕生。CSA討伐を理由にマッカーサーはクーデターを起こした。かくして、アメリカ内戦の火蓋は切って落とされた。
 マッカーサー・クーデターに対しニューイングランドの一部州とロングの支持基盤である南部諸州が合衆国からの離脱を宣言、前者は鎮圧されたが後者は「アメリカ連合国(AUS)」として独立し、合衆国軍との戦闘を開始した。

 軍事的な視点から見れば、アメリカ内戦は1937-40年の「テロル戦」、1940-42年の「近代戦」、1942-46年の「現代戦」へと変化していったと言える。テロル戦は民兵による稚拙なリンチ、爆破、暗殺の合戦であり、普段の日常生活と並行して行われた。テロル戦の間でも工場は操業し、国際貿易が行われた。
 1939年にWW2が開戦し大西洋航路が細まると経済は戦争の他に動かすものがなくなり、急速に中央集権的な軍需生産体制、徴兵システムが構築され近代戦が始まった。戦線は南北に推移し、ブルドーザー式に廃墟が生まれた。この頃から都市爆撃が本格化した。
 1942年には作戦技術の水準がユーラシア大陸での戦線と大差なくなった。AUS軍が電撃戦を成功させ、コロラド川を越えた。今まで不介入を宣言していたイギリスがCSAに攻め込み、次第にCSAの領土は縮小していった。とどめを刺したのは1945年に上陸したドイツ帝国軍(亡命政府)の部隊で、装甲戦力を駆使しCSA支配地に突入した。戦後、ユーラシア大陸の領土を失ったドイツ帝国に北米の土地が与えられたのはこの功による。

 外交的視点から見れば、アメリカ内戦は1942年頃までユーラシア大陸とは別個に動いていた。CSAのサンディカリストは必ずしもフランス・コミューンの独裁政治に賛成しておらず、AUSとドナウ連邦は似通ったイデオロギーを持ちながら、ドナウが経済制裁を恐れて積極的な支援をすることができなかった。しかしアメリカ内戦には世界各国から義勇兵が参加し、フランスもドナウも秘密裏に小部隊を派遣、兵器のテストを行ったとされる。
 アメリカの隣国は基本的に内戦に不介入だったが、1940年にはメキシコのサンディカリスト政権(こちらもフランス・コミューンを100%支持しているわけではない)が、1942年には英領カナダが参戦し、WW2の第二戦線の様相を呈していた。しかしながら、CSAやAUSはヨーロッパにおけるフランス・コミューンとドナウの同盟である「反帝協定」に参加せず、フランス・コミューンとドナウは彼らを最後まで共同交戦国としなかった。ヨーロッパ諸国がアメリカ内戦に介入するには、イギリス本土とアイスランドを攻略する必要がありあまりにも困難だったからである。

 アメリカ内戦はその期間の長さから犠牲者の推計に幅がある。1500万人から3000万人まで諸説があるが、2000万人が一般的な説である。この数には戦死者だけでなく民間人の死者、飢餓や疫病などの死者も含まれる。難民の数は不明であるが、アメリカは内戦により世界中からの移民を受け入れる能力を失い、戦後しばらくまで少なからぬ数が出国したことは確かである。
 内戦終結後は、CSAに所属した将校や指導的立場に立った労働者など約500-1000万人の市民権が剥奪された。オーストリアやプエルトリコ、パナマ、南米ギニア、カナダ北部などに流刑されたり、即決裁判で銃殺されたり、枢軸国との捕虜交換でフランスや新国家ブリテン・コミューンなどに送られたりと彼らの運命は様々である。
 アメリカ内戦の悲惨な経験は北米に大きな傷跡を残し、その後数十年間にわたり進歩主義は姿を潜め、キリスト教的な反動体制が構築されることとなった。

#架空戦記#アメリカ内戦#map#内戦#CSA

2019-03-24 07:55:19 +0000