あけましておめでとうございます。
明治二年、和歌山藩はツンナール銃を購入し、カール・ケッペン特務曹長を招いて領内の徴兵制による独自のプロイセン式軍隊を作り上げました。
明治三年に制定され、一年ちょっとで国軍に組み込まれて消えた和歌山藩武官の制服です。
古写真と「南紀徳川史」の図から描いてみました。
軍帽は「烏帽子」を円筒形にして眉庇をつけたもので、形状はプロイセンというより英軍将校のフォレージキャップのようです。
軍服は肋骨服上の胸紐で飾り、肩と裾及び指貫(ズボン)に菊綴、袖口に露という「鎧直垂」と洋式軍服のミックスでした。幕末にかけて発展した和製洋式の究極系です。
烏帽子の表面の仕上げと掛緒の色、軍服の生地と胸紐と菊綴の色(材質も)と数で階級を分けました。下士官以下は胸紐がなくて黒包みボタンになりました。
この軍服は戍兵都督(将官相当)で黒ラシャ地に白胸紐が五、白菊綴が七。烏帽子の表面は錆中しぼで掛緒が白となっております。
裾の後ろの切れ込みにも菊綴が5対ついております。
特に胸紐なんですが、絵図と写真では少し印象が違いましてもしかしたら個人でアレンジ入れちゃってるのかも知れません。
解像度が低かったので、イラストの紐の組み方などは両資料からヒントを得て自分なりに描いた物です。
また、古写真中では都督は家紋入りの陣太刀を手に座っているので、佩いた状態で描いてみました。
隣の副都督は打刀を上衣の下に落とし差ししており、こちらが一般的な佩刀方法のようです。
今年もよろしくお願いします。
2019-01-09 08:15:16 +0000