占守「はっ!ソナーに感ありっす!爆雷発射!
うぇっ、か、海上にも敵が…でも負けないっす!
タンカーは死んでも守り抜くっしゅ!来るなら来いっしゅ!!」
占守は無事タンカーと共に本土へ帰り着くことが出来るのか?
過酷な海上護衛任務はまだ始まったばかりである。
【史実において海防艦が置かれた環境、及びそれに関しての個人的意見】
艦隊決戦主義に固執し、兵站に関して十分な理解が浸透していなかった帝国海軍。
輸送船の護衛を専門とする海上護衛総司令部が創設されたのは1943年11月と、既に戦局は連合国側に傾いた後で、遅きに失するとはまさにこのことであった。
そんな中で、彼女たち海防艦は主に南方資源地帯において、駆逐艦にも満たないその小さな船体と鈍足で、味方船舶の護衛を強いられることとなる。
レーダーと無線を駆使し、群狼戦術で襲いかかってくる敵潜水艦。
そして空には敵航空機が雲霞の如く舞う。
制海権・制空権は敵に握られて久しく、加えて使用している暗号は筒抜け。
24時間、360°、船団に逃げ場はない。
けれども、多勢に無勢の戦局で彼女たちは味方を守るためによく戦い、傷付き、そして沈んで行った。
その犠牲が我々に教えてくれたもの…それは多くの戦果よりも、多くの資源や兵器、人命を満載した輸送船を確実に守り抜き、本国と海外、あるいは戦地を往来させるべきであったということだ。
そうしていれば、勝つということはないにしても、日本はもう少しまともに戦えていただろう。
それはガダルカナル島をはじめ、各島嶼群の戦いの結果から見ても、また戦争末期の絶望的な資源不足から見ても明らかである。
無論、これは戦後の「神の目の視点」から見ての結論に過ぎないが、どうも「誇り」や「伝統」などという言葉に目が眩んで、その現実が見えない、あるいは知らない人々もいるようだ。
私は戦争を絶対悪とは思わない。
戦争とは平和的解決をはかることが困難な場合にのみ実行される、政治、外交の延長線上にある“武力を用いた最終手段”でしかない、と捉えている。
為政者や防衛に携わる方々においては、こういった戦訓を鑑みて、二度とそのような過ちを繰り返すことがないよう切に願いたい。
それが戦場に散った彼女たちとその乗員たちの魂に報いるということではないだろうか、と。
※海上護衛については大井篤著「海上護衛戦」において、詳細な記述がある。
内容は決して面白いものではないが、興味のある方は読んでみることをお勧めする。
【小ネタ】
後ろのタンカーは出光興産が管理する「出光丸(3代目)」を参考にしている。
竣工:2007年11月30日
船長:333.00m
喫水:20.535m
載貨重量:300.433Mt
速力(満船/空船):16.1kt/17.4kt
※出光興産ホームページより
http://www.idemitsu.co.jp/tanker/fleet/management.html
2018-08-12 21:22:45 +0000