完全、検証、不可逆なる核兵器廃棄の資本主義的方式
formal pledge of "complete," "verifiable" and "irreversible" denuclearizationを掲げながら、そのプロセスが示されていないと、マスコミに散々酷評された6月12日シンガポール米朝首脳会談を受けて、これに次ぐ高官会議が平壌で行われた。ポンペオ国務長官と金英哲党副委員長はそれぞれ、「生産的」「ギャング的」と語り、ちぐはぐさを露呈した。さて、資本主義的生産体制を執る社会にあっては、資本家の投資の形を採る以外の方法がない。つまりその生産(廃棄)について資本の拡大が見込まれるか、リスクもあるが、博打の利もあるかが問われる。北朝鮮は、国家そのものが資本家の形式を取っているので、同様、国家の利となるか、将来の国家資本としての権威に係わるかがその判断基準である。Gangster-like mindsetと一方が云い、他方が、productiveと云うのが、まさに資本主義的であることの証である。強盗はまず、謝れと云う。謝ればその言い草を聞かなかったことにしようと。謝れば、右手のものを出せと云うだろう。もっとも時代劇風の強盗のことだがである。北は、米をそんな風に見たし、米は北にまともな資本主義商売を示しただけなのだろう。商品はまず値段や支払条件や取引場所等々の確認を要する。銭を出すのはそれらの取引の概要を確認した後である。まず銭を支払って、交渉する商売人は居ないだろう。だから、値切ったり、舐めたり、透かしたりするのもまた常道だろう。二人の商売人の商品は一体何んなのか。核の廃棄と、その買い値である。核の廃棄と平和なのだろうか。核の生産もだが、廃棄にもそれなりの費用を要する。リビアでは、取り壊し、輸送、処分場の費用を米が持った。それで終りであり、あとは言葉での援助であった。米資本は、国連に置いたドルで潤った。CVIDの科学的内容については皆目不明。廃棄と平和と云う資本主義的観念論商売をいかに継続させるかだけでお茶を濁す方式なのか。
2018-07-10 05:13:30 +0000