【HD近鉄23】汎用特急の顔ができた【12000系】

古淵工機10@RSPI作者?

近畿日本鉄道12000系・12200系:
1967年に2連10本20両が一挙に製造された。愛称は「スナックカー」。
1964年の東海道新幹線開業を受けて、新幹線から伊勢・志摩・奈良方面への観光需要の開拓、
および近く控えた大阪万博輸送に対応すべく、先輩格の「新エースカー」こと11400系を発展させたもの。
幅1700mmの広幅窓、丸みを帯びた車体、埋め込み式のヘッドランプ、前面部分の貫通幌を隠す
折り畳み式の幌カバー、そしてなによりスナックコーナー(国鉄で言うところのビュッフェ)を採用するなど
当時の近鉄特急においては10100系「新ビスタカー」(illust/68265063)に並ぶ看板車両として設計された。
近鉄特急としては最初のリクライニングシート装備車である。

続く1969年にはスナックコーナーを拡大し、さらに高速運転も可能な設計とした改良型の12200系が誕生したが、
このころすでに名阪特急は新幹線に客を奪われて大打撃を受けており、テコ入れとして登場したはずだった
スナックコーナーも売り上げが伸びずに1969年には営業をやめてしまう。
12200系は先頭車と中間車合わせて168両、56本が製造されている。
電算符号は12000系が「S01~S10」、12200系の2連が「N」、4・6連の先頭車が「NS」、中間車が「S31~S56」となっているが
あまりに複雑に入り組んでいるためここでは「12001F」「12233F」などのように呼称する。

その後長らく近鉄特急の主力汎用車として走り続けたが、
1969年には12007Fが伊勢中川駅構内での脱線事故で廃車、12001Fおよび12202Fが総谷トンネル事故(青山トンネルノーブレーキ事故)により1971年に廃車となっている。

実はこのスナックカーの一族は総数188両(事故廃車発生後は182両に減少)を数え、近鉄特急の最大勢力であり、
その後4連を6連に組み替えるなどして幾度か編成内容などが変わっていったが、寄る年波には勝てず1999~2000年にかけては12000系が全廃。
12200系も15200・15400系への改造や老朽廃車が進み、2017年4月時点では4連17本68両(12233~40・44~47・49~52・56F)、
2連3本6両(12253~55F)、合計74両が在籍していた。

もっとも、近鉄では名阪特急用として新形式特急電車を導入する計画が進められており、
状況次第によっては既存特急車の転用ないし新形汎用特急車の新造による置き換えが予想され、
予断を許さない状況にある。

なお、1977年には12257~12259F(4連3本12両)が製造されたが、この3本は新形ビスタカー(のちの30000系。illust/39503618)
の設計にあたりアコモデーションなどを検討するためのテストベッド的な意味合いが強く、
車体設計変更箇所があまりに多岐にわたったために運輸当局からの通達で登場わずか1年で別形式を名乗ることになった。
この編成こそがのちの12400系「サニーカー」(illust/68470664)だったのである。

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2018-05-03 11:57:18 +0000