日本国有鉄道14系:
1971年に先行試作車10両が登場、翌1972年に量産化された特急用客車。
すでに旧式化しつつあった20系寝台車に代わる新たな寝台車として誕生した。
「ニューブルートレイン」の第1号と呼べる車両である。
分散電源方式の急行用客車12系をベースに設計されており、多層建て列車などで使うことを想定した車種である。
また、12系は急行用であるため95km/hしか出せず、183系特急電車(illust/65715261)と同様の車内設備を持った
特急仕様の座席車も追って1972年に製造されたが、折しもこの年の11月に北陸トンネル内で
急行「きたぐに」の食堂車から火が出て30人の犠牲を出す事故が発生してしまう。
このため床下にエンジンを吊り下げた分散電源方式もこうした長大トンネル事故の際に
問題になる可能性があるとしていったん14系の製造は打ち切られ、24系(illust/67506091)へと移行する。
その後、1978年より防火対策を強化し、エンジン回りに自動消火装置を設置した「15形」と呼ばれるグループが登場、
24系25形100番台と同様の車体を持つ2段式寝台車となっている。これに合わせ14形も寝台を2段に改装したほか、
防火対策強化を実施することになった。
1983年には旧型客車や10系軽量客車の置き換えのために北海道向け改造車500番台が誕生、
ブレーキシリンダーの改造や出入口の引き戸化などを実施している。
国鉄末期からJR分立前後には寝台車については個室寝台化、座席車についてはジョイフルトレインへの改造、
さらに24系との間での相互車種間改造などが相次ぎ、24系・12系ともども多種多彩な改造車が生まれるに至った。
しかし時代が下ると、寝台列車の削減で寝台車はその数を急激に減らし、2010年にJR九州に残存の7両が
マレーシア鉄道公社へ売却され寝台車は全廃。
またオハネ14形を種車にしたオロ14形850番台(「あすか」用イベントカー)が網干総合車両所宮原支所に残存するがすでに運用はなく長期休車の状態である。
ジョイフルトレインとなった車両たちも、より機動性の良い電車や気動車に取って代わられたほか、
時代の趨勢とともにジョイフルトレインの目的そのものも大きく変わったためほとんど廃車となり、
座席車も現在はJR北海道にイベント用の4両編成1本、JR西日本に「サロンカーなにわ」7両編成1本が残存する。
JR以外の会社への譲渡車としては東武鉄道に「大樹」用に0番台4両(このほか部品取り用の500番台4両。いずれも座席車)と
大井川鐡道に500番台車4両(座席車)がある。
樽見鉄道にも5両譲渡されてオハ2000・スハフ2200形となっていたがこちらは惜しくも全廃されている。
この他、タイ国鉄に34両(うち24両が寝台車)、フィリピン国鉄に座席車5両、先述したマレーシア鉄道公社に7両が譲渡されたが、
このうちフィリピンの5両は全廃されている。
マレーシアの7両は「マラヤン・タイガー・トレイン(マレーの虎号)」などに使用されている。
2018-03-06 11:45:20 +0000