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西村艦隊は10月22日から出航し、スル海(SULU SEA)を経由してスリガオ海峡へと移動します。10月24日は連合軍に見つかれて、午前9時30分にて敵艦載機の空襲に合いました(約20機)。それ程の損傷はありませんが、連合軍は西村艦隊の意図を気づかれ、西村艦隊は南方からレイテ島に突入することを確認した上で、連合軍は戦艦、巡洋艦や駆逐艦などを急配し、スリガオ海峡の北海岸にて日本海軍を迎戦しました。
上図のように、第54駆逐中隊(DESRON54)元からの任務は敵潜水艦の侵入を防止することで、最初からは既に配置されています。それ以外のは急配され支援して来た各中隊です。
X-Ray中隊は連合軍戦艦への護衛や対潜を務め、必要でない場合には基本的に迎撃しません。また、防衛線は両側に分け、右側の地形は狭いし、水深は浅かったため、大型船が行動しにくいので、連合軍は駆逐艦2隻しか配置されていません。
ところが、連合軍の支援部隊は殆どSGレーダーを搭載されています。
このレーダーはPPIスコープと合わせて使えれば、夜でも日本海軍の位置が分かります。しかし、西村艦隊は海峡に入る前の動向は知りません。
それに、夜戦可能な米空母インディペンデンス(USS Independence CVL-22)は北方面の戦場へと支援しに行きましたため、連合軍は手元にある魚雷艇( PT-boat )をスリガオ海峡南海岸とボホール海(旧名ミンダナオ海)との所に分散配備し、哨戒や日本海軍の位置を報告が第一優先で、攻撃はその次です。
* 当時連合軍のSCレーダーと日本海軍の22号対水上電探は海峡両側にある島嶼の関係で、機械の状況は良くありません。
2018-02-17 10:54:00 +0000