武蔵野を疾駆した省線電車

うきは

鉄道会社というものは、大小様々、各社毎に特色をもっているものである
どんなに小さな会社でも一目で「ここ」とわかる特色があるものだが、
こと大手になると歴史も長く事業も大きいのでこの会社はなんでこんな拘りが?というものが散見できるようになる
東京、埼玉に路線を展開する西武もそんな特色のたくさんある鉄道会社だ
戦時統合を受けなかったものの、西武という会社は現在の池袋線を基幹とする武蔵野鉄道と、
新宿線を基幹とする旧西武鉄道が合併しておおよそ現在の形が出来上がっている
そのため、合併時は種々雑多な車両が多数運行され、戦後もその傾向は続いた
戦中、都市部に入り込まなかった為戦災被害は多くは無かったが、
戦後に都市から近郊へと人口が流出を始めると西武の輸送力では通勤通学客輸送を捌く出来ず、
車両の増備に迫られたが、折からの資材不足で新車の導入なぞは夢のまた夢であった
そこで目をつけたのが国電の戦災車両であった。戦火によって焼けた電車を買ってきて自社で叩き直して使うことにしたのだった
買い上げた電車は殆どが17m級の旧モハ30、モハ50と言った電車郡で、これらは自社の所沢工場で叩き治され311系として輸送力増強の一助となった
西武はこれらの戦災復旧車両や、新造した501系(後に411系を経て351系)等に使用される国電由来の装備品も多数を買い込んだ。コンプレッサーやイコライザー台車、制御機器などはその後新性能化された20m級電車にまで使用され、これもまた西武の特色の1つであった
自社所沢工場が20m級の大型電車までも編成単位で新造できる技術力を蓄積できたのは、
ひとえに戦災国電の復旧工事の賜物であったであろう

1950年代になると501系など全金属車体20m級電車が出始め、
さらに両開き客扉を装備した451系などが開発されるに至り西武の体質は大分改善されたかに見えたが、
それにも増して輸送力と車両の増備はいたちごっこで不足の状況は変わらなかった
そこで、新造車両の増備と平行して再度国鉄から不要車両の買い付けを行い、輸送力増強を図ることになった
結果、生まれたのが、イラストの371系である
既に国鉄でも新性能電車が出始めており、地方線区にはその玉突きで72系など大型電車が進出。これら大型車が入れない鶴見線大川支線や職員輸送用など極僅かな分を除いて大多数の戦前型17m級電車は余剰化していた
すでに、西武では311系として同形態の17級国電の使用実績があり、装備品の多くも共通なのでこれらを導入することとし、1959年から65年に掛けて行われた
いずれも種車は17m級のクモハ11 400番台で、西武としてはこの車両を20両欲したというが、程度などを勘案して導入されたのは13両という結果に終わった
導入は全てクモハだったが、後に半数は電装解除されてクハになり、同じ車体で2連を組んで増結から支線区運転に供された
国鉄時代にすでに修繕改造を受けていたため、殆ど仕様変更せずにそのまま受け入れ国鉄時代のままで使用されたが、最終増備の編成が竣工した頃にはカルダン車が導入を開始されていた時期で、
あくまで本車は輸送力増強のつなぎとして捉えられ活躍期間は長くは無かった
西武は電車の20m化は比較的早く、701系や101系といった標準型が大量に増備された結果、
小型だった17m級の311系列などは早々に淘汰の対象となり、戦災復旧で程度の悪かった311系は1967年から廃車が始まり、1972年には全車が廃車となった
更新修繕が行われていた371系は以後も残ったが、支線区にも20m級電車が充足してくると用途を失い、その殆どは1975年までに廃車となった
しかし、一部は中間サハ化され、国分寺駅ホーム有効長の関係で17m車3連が最長だった多摩湖線運用の351系の間に挟まり、同車が引退する1990年まで引き続いて運用された

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2017-11-16 06:38:18 +0000