華麗なる扇動者

Legionarius
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アルキビアデスはどんな男だったか?
君がそれを問う気持ちはよく分かる。

彼と会ったことがなければ私も君の様に質問したに違いない。それは実に魅力的で、あまりに難しい問いだ。私もいまだに彼が一体何者だったのか考える事がある。彼はまさに謎そのものだった。

ときに彼はありきたりの扇動政治家の様に時流に合わせ甘言を弄し、民衆に迎合し無謀な国策を吹聴した。弁舌の冴えたるや……実に見事だった。口火を切ればその野望は成功が約束されたかの様に聞こえ、既に全ての準備が整い、実現に向けて現実が理想に従い動き出すかの様に、あたかも眼前で手に取って見る様に聞こえたものだ。金属を自在に操る鍛冶屋の様に議場と民衆を加熱し、政敵の頭に冷や水を浴びせ、熱狂と沈黙のさざなみの末に場を掌握し、導き出される結論は彼の意に適ったものだった。

国政を恣にし、虚栄と野心に駆られ世論を弄ぶ邪悪極まりない政治屋、軽薄で向こう見ずな扇動者……かと思えばその知恵は常人の遥か先を見通し、勇敢さにおいても余人に劣る事はなかった。ある時は神話の英雄の様に戦士達の先頭に立ち、またある時は危険も死も恐れず馬を駆り戦場でソクラテスと殿軍を担った。
誰よりも先に船を飛び降り、腰まで海に浸かって波飛沫を散らし、砂を蹴り上げて浜辺を駆ける姿はまさに壺絵の勇者そのものだった。海でも陸でも彼の振る舞いは同じだった。

それほどの情熱を捧げ、血も凍る様な恐怖を克服し、数え切れないほどの危険を冒して全てを捧げた祖国を彼は見限り、あろうことか宿敵スパルタに身を寄せた。いや、見方を変えれば祖国が彼を見限ったと言えるのかもしれないが。彼は我々のアキレス腱をスパルタ王に漏洩し、攻撃を唆した(アテナイの戦略的弱点、物資輸送路上の要衝デケレイアに要塞を築いて抑える)。たった一言でどれほどの市民が苦痛と死の淵に追いやられた事か。7千の同胞がシュラクサイの石切り場で迎えた悲運を思えば、許されざる裏切り者というほかない。

それから彼が何をしたか……かつての敵の懐にある助言者というこの上なく不安定な立場にありながら、
王の不在にスパルタの妃と通じて子を生した。およそ同じ人間とは信じ難い神経の持ち主だ。

到底実現不能に思える野望、馬鹿げた英雄譚と軽佻浮薄な噂の数々、出遭う前からそれを聞き及んでいた私は実際に会う事があれば文句の一つでも言ってやろうと思っていた。錨泊中の艦隊に合流する為に私の艦に彼が便乗した日、ペイライエウスの桟橋にあの男がやってきた日の事は忘れられない。彼はそこに存在するのが当たり前の様にあらゆる場所に溶け込んだ。それでいてその場の誰も彼もの目を惹いた。
それはアテナイでも、スパルタでも、ペルシアでも同じ事だった。

淡い色に光輝く髪を潮風に靡かせ、颯爽と赤の外套を翻し、甲冑姿のストラテゴス(将軍)は私の前で立ち止まり、信頼しきった様子で前置きも挨拶も抜きに気象海象を尋ねて上機嫌に笑った。サロニコス湾を出る頃には私はアルキビアデスの忠実な艦長となり、その艦隊に所属する事を誇りに思ってすらいた。

彼は神々の御業の様なそれ、つまり魔術的な魅力に包まれていた。憎悪するにせよ愛するにせよ、意識するほどに捉われずにはいられない。二言三言交わすだけで初めて会う者の心を掌中にするのだ。彼がただの扇動者であったならどれほど良かった事か。ただ憎みさえすれば良い単純な対象であったなら……。

だから彼を一言で表現するのは難しい。様々な評伝と噂が彼を何かに結び付け、数え切れぬほどの人々が彼を何某かの定型に収めようとしたが、私はそのすべてが正しく、同時に誤っているように思うのだ。腹黒い政治家、陳腐な詐欺師、冷徹な戦略家、美貌の誘惑者、唾棄すべき裏切り者、祖国の救世主……彼を一つの何かに当て嵌めようとする試みは徒労に終わるだろう。それは刻々と移り変わり行く海や空の色が何色であるか一つに決めようとするに等しい。

アルキビアデスは他の誰でもない、アルキビアデスという存在だった。そして彼を望み、作り出したのは紛れもなくアテナイであり、その市民だ。人々が英雄を望めば彼は英雄となり、汚い裏切り者だと罵れば情け容赦ない変節漢が現れる。今の私にはそう結論づける事しか出来ない。
――アテナイ海軍 ガラテイア号艦長の回想

アルキビアデス、扇動者、戦士、外交官、戦略家、不実と退廃の輩、節操無き裏切り者、英雄、ソクラテスの弟子……容姿端麗で家柄に恵まれ、弁舌も鋭く、頭も切れる。男女問わずやたらとモテまくる。傲岸不遜かと思えば尊敬する相手には信頼と情熱を注ぎ、命を懸ける事すら惜しまない(デリオンでの殿軍)。気まぐれに見えて計算高い一面も見せ、ときに不屈ぶりを披露する。紀元前5世紀半ばに生まれた彼はアテナイの政治家であり軍人でした。最初は。

ペロポネソス戦争においてスパルタと対立していたアテナイは一時講和(ニキアスの和約)を結びましたが、主戦派のアルキビアデスが支持され戦争を再開(そもそも講和条件の占領地返還をどちらも履行しなかった)。シケリア(シチリア)遠征を開始します。しかし目的地に向かうや否やアルキビアデスに政敵による帰国命令(ヘルメス柱像破壊の容疑で裁判、後に死刑判決)が出ます。帰国は死と同義であると悟った彼は何と交戦相手のスパルタへ亡命。

スパルタでは己の知り尽くしたアテナイの戦略を漏洩し、散々に祖国を苦しめます。ところが出征中のスパルタ王の妻を孕ませてスパルタからも追放、ペルシアへ亡命します。そこでまたサトラップに気に入られるという驚異の神聖モテモテぶりを発揮。

その後、政治情勢の変化により帰国許可が下りるや再びアテナイの軍事指揮官へと返り咲き、スパルタ軍を撃破するという戦果を上げてその声望を高めます。しかし数年後、不在時の部下の独断専行により海戦に大敗し、責を問われ再び亡命、トラキアへ。フリギアで再起を図ろうとしますがここで運が尽きたのか、スパルタの指示による暗殺、あるは痴情の縺れによる死という事になっております。

ざっと経歴を追うだけでも訳が分からない人物である事がお分かり頂けると思いますが、とにかく行く先々で人に気に入られ、魅了し、何らかの活躍をする人だった様です。本人も大概ですが死刑宣告、大歓迎、指導者に選任・解任・追放、掌を返す様に態度を変えるアテナイ市民も負けてませんな。戦争中に指導者や政治方針を取り換え、内部で揉めて…アルキビアデスはまさに当時のアテナイそのものだったのかも…。

アテナイではアテナイ人らしく、スパルタではスパルタ人の様に振る舞い、カメレオンの様に変身する男。
滅茶苦茶な生き様にも見えますが、面白い人物だと思います。同時代を生きて翻弄されるのは勘弁してほしいですが(アテナイは何千、何万もの戦死・餓死者を出している)。アテナイ凋落の主犯の様に扱われる人物ですが、指導者を選び、ときに追放し、歓迎したのは紛れもなく市民だった訳で、アルキビアデスという存在は情勢と人々の要請があったから登場したのではないかとも思います。民主制の責任所在、構成員の水準というものについて考えてしまいますね。

古代が活き活きと描かれたサトクリフの「英雄アルキビアデスの物語」お勧めです。

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2017-10-21 09:13:20 +0000