艦隊は長き待機命令により、雨天のヒッポドローム(競馬場)やテオドシウス広場の様に活気を失っていた。目的の定まらぬ長逗留は兵に弛緩と風紀の紊乱をもたらす。およそ艦隊と呼ばれるものが求めるのはいつの世も同じだ。訓練も補給も整備も終えたら、すべき事は一つしかない。サラミスでもアクティウムでも求めしものは一つ、沈めるべき敵。その撃破こそが我々の存在意義だった。
戦力の集結と補給を終えて一月の後、待ちくたびれた我々にとうとう命令が下り、全艦隊に力強い炎が宿った。集結・中継基地であるアンティオキアより出撃した艦隊は遥か彼方まで連なる乾いた丘陵を眼下に、風を切って南を目指していた。ホムスとダマスカスの上空を瞬く間に飛び去り、地平線の縁より細い銀糸の様なヒエロマス(ヤルムーク)の流れがその輝きを零し始めた頃、先行する2等戦列艦ファルサロンの放った高高度偵察艇から我らの福音、つまり“敵艦見ゆ”の報が入った。
ほどなくして左右二つの縦陣となって進む我らの前面に黒き戦旗を掲げて北上する彼らの勇壮な艦隊が現れた、それは夕刻の空を覆う鳥の大群の様に瞬く間にその数を増した。中核となる40隻近い戦列艦に随伴する小艦艇の数は到底数え切れなかったが、途方もない大艦隊は悠然と飛び、我等の行く手を遮る様にその先頭艦が左回頭するや後続の全艦がそれに倣った。彼らは我が艦隊の前面で西へ変針し右舷の砲火を集中させる算段だった。敵に側面を向けている間、空中戦列艦の火力は最大となる。そして縦射を浴びる艦は串刺しも同然の危機に陥る。
我らの指揮官はどう答えるのか、全艦隊搭乗員は左翼艦隊の先頭を行く旗艦トリカマルムの信号を待っていた。即ち、そこに座乗されたる我らが司令官アンドロニコス殿下の御命令を。通信手が告げた実に短い文言は事前に16案検討された内の“2番”即ち右翼・左翼両艦隊共に最大戦速にて敵艦列中央を食い破るべし、であった。
双眼鏡を覗き込み、食い入るように先行艦の発光・旗旒信号を確認していた信号兵もそれが間違いないことを認めた。同じく定められた通り、信号旗は白に二引きの赤・黒に白十字・黄に赤の聖アンドロス十字、殿下は我らに二本の槍となれ、とお命じになったのだ。私は機関最大戦速を命じ、艦の全搭乗員に向けて、まもなく死と栄光のひと時が訪れることを伝え、各員の奮闘と幸運を願った。
我々の前面を悠々と横断する敵艦隊までは、右翼縦陣の3番艦に位置していた我が2等戦列艦マンツィケルトからはまるで遠くインドからヘラクレスの柱の様に遥か遠くに感じられた。陸の役人がゆるりと書類を発行する様に悠久の時が流れ、回転計も振り切らんばかりに機関を回しているというのに彼我の距離はじりじりとしか縮まらなかった。
見える限り全ての敵艦が横腹を向け、その砲塔がこちらへ旋回し、死神の双眸の様な砲口が激しく火を噴いて、発砲煙がもうもうと立ち込める様を一体幾度眺めた事か。我が艦の前方で右翼2番艦のニコポリスが不運にも左舷後方に被弾し、黒煙を引いて速度とその命にも等しき高度を失い始めるという悪夢の様な光景を目にしても、艦隊は怯む事無く敵を目指して進む殿下の左翼旗艦と右翼の先頭艦アクティウムに追い縋った。近く、遠く、大気を貫き雲に突き刺さり、着実に夾叉へと至る敵の優秀な弾着修正の最中、艦隊は鍛冶屋に鍛えられる鉄塊の様に炎と槌に打たれ、前方へ応射しつつ、古のカタフラクトスの様に突進した。
やがて試練の時は終わり、我が艦隊は羊の群れに飛び込む狼の様にその脇腹に食らいついた。艦隊は至近距離で全砲門を斉射し、射程内の全ての敵艦に対して砲撃を続行した。二本の槍は敵艦隊を見事三分し、暴れ回る大蛇の様にその隊列に咬みつき、終いにはそれを四分五裂にした。まさに大混乱であった。
そこには戦列艦の縦陣同士による秩序ある砲戦は存在しなかった。信じられないほどの至近距離で彼我の砲弾が飛び交い、武運拙く火薬庫に直撃を受けた艦が爆発し二つに折れて沈む一方で、凄まじい炎と煙に包まれて墜落する艦が随所に見られた。
両艦隊はさらに入り乱れ、血に飢えた敵味方の艦はその敵の腹に衝角を突き刺さんと向こう見ずな突撃を敢行し、常軌を逸した勇敢さで知られる両軍の重装海兵隊が敵艦に躍り込んだ。早くも離脱し逃走する艦、再起を図ろうと混戦を逃れる艦、機関損傷により身動きの取れない艦には高速強襲艇の降下と艦橋部への強行突入が敢行され、そのマストには我が軍の旗が翻った。
辛うじて再集結した敵残存艦隊の行く手に、とどめとばかりに到着したシドン駐留艦隊が片舷斉射を見舞う姿を認め、我々は第三の槍が突き刺さったのを知り、戦いの結果を確信した。間も無く敵艦隊より降伏の信号が発信され、砲煙に包まれたアンドロニコス殿下の艦から黒と黄の信号弾が二組発射された。久しく見る事の無かった良きしるしを認め、全艦隊は歓呼に沸き立った、紛うことなき勝利のしるしだ。ヤムルーク上空の激戦によって、我が栄光の艦隊はその甘美なる一日を歴史に刻んだのである。
――ヤムルーク空中会戦 戦艦マンツィケルト艦長の回想より
東方遠征を終えて帰還した中央空中艦隊(タグマ)分遣隊をアンティオキア上空にて出迎えるコンスタンティナ4世パレオロギナと護衛。手摺の形状からフォカス級高速輸送艦の艦橋右舷と見られる。至近の艦は皇帝の従兄アンドロニコスの乗艦ヘラクレイオス級1等戦列艦3番艦トリカマルム、追随するはヤムルーク空中会戦の殊勲艦アレクシオス級2等戦列艦マンツィケルト。パレオロゴス家の軍旗が掲揚されている事から皇族の直接指揮下にある事が確認できる。皇帝の父、先帝ヨハネス14世はヴァン湖北部上空にて発生した第3次マンツィケルト空中会戦において轟沈した戦艦クレディオンと共に戦没、同日実兄ミハイルも行方不明となっている。久々の勝利の報と、皇帝が実の兄の様に慕い臣民の絶大なる人気を誇るアンドロニコスの帰還は人々の心を安堵させ、失意の底にあった帝国を幾らかは慰めたことだろう。
――空飛ぶロマイオイの歴史 下巻65頁より
などと意味不明な供述をしており、当局は引き続き動機の解明に努める方針。
スチームパンク(?)・ビザンツ帝国?多分アレです、マラズギルトで微妙に引き分けたり、マヌエル2世が支援を手にしたり、ケルコポルタ門が閉まってたり、天使か聖母の援軍が帝都の陥落を阻止したり、そういうナイスな感じで帝国が再興を遂げた世界線の話です。
戦術や動力は……謎ですな。装甲艦以降と思しき時代に火力を集中する艦隊にネルソン・タッチみたいに突っ込んだら酷い目に遭いそうですが。リッサ海戦というのもあるか……。砲戦するかと思いきや衝角で突っ込み、斬り込む、同士討ちが多発しそう。高度を利用した立体的な戦術があるのか、それとも宗教上の理由や何らかの協定により両軍が事前に戦闘高度を定めるのか。何の定めも無いと、艦の実用上昇限度と上昇時間等の諸元によって戦う前から勝敗が決まりそうな気も。戦列艦などと書いてますがデザインは19世紀後半~20世紀初頭に見られたタンブル・ホーム型の艦艇や古代のガレーを参考にしました。ふっくらと丸い線が好みです。未来少年コナンのバラクーダ号もでしたっけ。懐かしい。
2017-03-24 16:40:24 +0000