そう…あれはマルケルスとレントゥルスが執政官を務めた年の冬の事だ。俺達はあの河を渡った。ルビコンはガリアで渡った河の数々に比べればあまりに小さな川だった。だがローマの法において軍団がそこを渡河する事が何を意味するかを知る者には対岸はレヌス(ライン川)より遠く、踏み出す1パッスス(1.5m)は1ミリアリウム(1.5km)に等しかった。俺のおつむでは我らがカエサルが何を目指しているのかはさっぱりだったが世界が引っくり返るのだという予感はした。一歩を踏み出せば世界は二分し、一方がタルペイアの断崖から転げ落ちるまで戦い抜かねばならぬのだと。まったく”賽は投げられた”とは良く言ったものだ。賭け金は各々の命、勝利すれば全てを手中に収め、敗北すれば路傍の土塊と化す。そして一軍団兵に過ぎぬ俺に出来るのはこの河がステュクスにならぬよう最善を尽くす事だけ。だが何の事はない、それまでも全ての戦いが常にそうあったのだ。やがて皆はガリアで研ぎ澄ませた勝利の匂いを嗅ぎ取る己の勘を信じ、ゆっくりと小さな大河を渡り始めた。「帝都旅行記第3巻25章、スブッラの飲み屋にて元第13軍団兵おおいに語る」より――上記はいつもの法螺です。共和政ローマ末期、元首政への第一歩の図でございます。ルビコン渡河、ローマの政体転換期における説明不要の有名な事件ですね。カエサルやその部下達の胸中には一体どんな思いが去来したのでしょう。では私ももたついて百人隊長に叱られないうちにさっさと渡る事にします。
2009-09-04 11:13:28 +0000