昭和25年に登場し「遭難電車」と陰口を叩かれつつも、メーカー、現場の努力で初期不良を克服、
電車運転の長距離安定化を成し遂げた80系湘南電車は戦後同時期に開発された72系、70系電車と共に軽量セミモノコック全金属車体の300番台で完成形を見た
電車列車の長編成長距離運転は始まっていた、多数ある機関車を有効活用するために客車列車も大多数が存置されていた
客車についても戦前戦中に開発製造された重くて頑丈な所謂「旧型客車」を脱却し、軽量全金属で明るいナハ10系客車が開発された
この技術をフィードバックし、電車特有の事情にマッチングして製造されたのが70系80系に言うところの300番台の車輌である
70系は少数が製造されたに過ぎないが、80系については制御車、電動車、二等車含めて多数が製造され急行電車の接客設備向上に寄与された
ノーシルノーヘッダーで1段窓、室内外ともに極力凹凸を廃したデザインは国鉄急行型電車の集大成であると言っても過言ではない
この車体構造はその後の101系153系など新性能電車製造へのノウハウ蓄積に多大な功績を残した
後期に製造されたこれらの80系電車はそれまで同系が投入されていた各線で継続使用され、直流電化区間広範で準急や急行列車で使用された
しかし、そもそも旧型から新型への過渡期に製造されたことで、すぐに新性能電車の投入が開始され。順次ローカル線や本線のローカル運用に転用されるようになる
湘南電車の愛称の由来となった東海道本線東京口から本系列が撤退したのが1977年
300番台全金属車で固められた最後の牙城、飯田線での運用が終了し全車引退したのは1983年のことだった
固定編成を前提とし、最低でも4両編成。前面非貫通で他系列との併結に向かなかったことで、僅かな差ではあるが皮肉にも戦前型の51系などよりも先に引退することとなった
80系そのものの保存車は2両があるが、正面3枚窓の初期型制御車と中間電動車のみであり、この「湘南型」と呼ばれた2枚窓の車輌は一切の保存車が存在しない
その優れたデザインから国鉄私鉄を問わず多くが影響を受け、同様なデザインの電車が数多製造された「湘南型」その元祖の電車は残念ながらファンの記憶の中に残るのみとなってしまった
2016-09-28 11:13:22 +0000