ローマ軍の物語XXⅢ “ヤヌス神殿の扉”

Legionarius
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ユダヤ属州の戦いはこの世のありとあらゆる惨劇を煮詰めたかの様な戦いだった。
まさに国が消滅するほどの熾烈な戦い……千の街と村が燃え、五十の要塞が破壊され、合わせて数十万のユダヤ人、属州民、ローマ人が死に、捕虜は家畜以下の値で叩き売りとなった。

イェルサレムは64年前と同様に地獄と化した。敵がそうであった様に、我々の怒りと憎悪も頂点に達していた。
待ち伏せ、騙し討ち、物資・装備の横流し、そして内通した商人による葡萄酒への毒の混入……軍団兵の慈悲はとうに底をついていた。攻防戦の焦点となった隘路や門には足の踏み場もないほどの骸が転がり、鋲を打った軍靴すらぬるぬるした血脂塗れの石畳で滑った。炎と悲鳴、呻き声は止まず、数珠繋ぎの奴隷が地平線の果てまで続いた。

戦勝記念碑や元老院における公式報告で触れられることはないだろうが、彼の地では誰もが勇敢であったし、そうあろうと努めた。
俺達が当然そうだった様に、イェルサレムやベタルの砦に籠ったあの連中もそうだった。だが勇敢なだけでは勝利は訪れない。

輝かしい栄光や高潔さ、華々しい破滅の影にはその何百倍もの無惨な破壊と苦痛と死と徒労が、惨めな醜態があった。
病院に後送される暇も無く血の泡を吹いて死に至る兵卒、手が回らず放置される負傷者、そしてその何倍もの市民や属州民が死んだ。混乱の最中、衝動的に破壊された建物や、灰になった書物は数知れず、無数の村落が燃え盛り、数え切れないほどの老人や女子供が死の渦に巻き込まれた。

……いや、攻撃の命令を下したのは俺であり、軍団長であり、皇帝であり、そこで何が起こるかはその誰もが最初からよく知っていた、軍団は100年前も200年前も同じ事をしてきたのだから。だから正しくは俺が巻き込み、そして破壊し、殺したと言うべきだろう。

命令とその責任はあらゆる面で指揮官に重く圧し掛かる。一度命令を下せば勝敗も目標達成の成否も関係なく部下の誰かが死ぬ。
損害の無い戦いなどありはしない。百人に一人か、十人に一人かの違いはあれど、間違いなく死傷者は発生する。だからこそ全ての命令は軽々しく為されてはならない。俺の一言が、指揮丈で指示した場所が一つでも間違えていれば誰かが無用の苦痛を味わう事になる。軍団長も総督も皇帝も原理は同じだが想像を絶する重責を担っている。たった一言発した瞬間に数千、数万の生死と禍福が既定事項となる。中にはその自覚が無いとんでもない奴もいるが、少なくとも俺はそんな連中の仲間にはなりたくなかった。

攻防戦は長引くほど、その終焉は陰惨なものになる。復讐に燃え、熱狂に身を焦がす兵士達の無秩序な暴行と殺戮を完全に制御する事は出来ない。鎮圧における見せしめの殺戮と破壊は徹底的に行わなければ意味を成さないが、我を忘れた新兵は無分別に全てを傷つけ壊してしまう、折角の宝物も奴隷として売れる者達も。それは怒り狂うアレスの様なもので、その一時、軍紀は忘れ去られる。

それら一つ一つは反乱の終結という主たる栄光と悲劇の物語の前にはあまりにも小さく儚く無力で、濁流に呑み込まれる木葉の様に、一瞥すら与えられず、語られる事も無く忘れ去られるだろう。人々の注意は常に眩く輝く分かり易い物語に引き寄せられる。明るい星が輝くほど暗く小さい星は目に留まらぬ様に、それが善き事であれ、悪しき事であれ、目立つものしか人々の記憶には留まらない。

こうしてイェルサレムは瓦礫の山と化し、ローマの地図からその名は完全に抹消された。
今はアエリア・カピトリナという名の街があるだけだ。ユダヤ属州も同様に改名され、シリア・パレスチナ属州となった。

軍団も大きな損害を被ったが皇帝陛下の支援とセクストゥス・ユリウス・セウェルス将軍の采配、そして数え切れぬほどの軍団兵の献身により勝利を収めた。あの恐るべき戦場では稀なる勇気が、皆の備えるありふれた美徳であった。中でも我が歩兵隊の活躍はまさに八面六臂とも言うべき類を見ないものだったが、それを話し始めると一日では終わらないし、少なからぬ量の葡萄酒を必要とするので、また今度にしておこう。自慢や武勇伝、過去の栄光を延々と聞きたがる人間はそうはいないだろうし、口を開けばそれだけ、という者ほど哀れな奴もいない。

最後の戦いを終えて軍団長含め、お偉方に呼び出された俺は、退役にあたって後任に推す者はいるかと意見を求められた。ケリアリスの様に自分の隊を見た事も無い様な奴に持っていかれるのではない事に心底ほっとした俺は、副官の名を告げた。十分に勇敢ではあるが、不相応な栄光や己の褒賞の為に部隊を冥府に放り込む様な馬鹿ではなく、突出して包囲されない様に周囲に気を配る程度の慎重さと臆病さを兼ね備え、たとえ能無しの上官に命令されても上手くやり過ごすくらいには狡猾、そういう奴が適任だ。

馬鹿正直は己が身だけでなく、仲間も殺す。

他の隊がどうかは知らないがケリアリスは俺にそう言ったし、普段はなかなか意見の合わなかった俺もその通りだと思った。
目の前に白刃が迫った時、助けてくれるのは勲章でも栄光でも政界での出世に興味津々の高級将校でもない。勝つ前から占領地の利益分配に御執心の元老院議員も、尊き皇帝陛下も手を差し伸べてはくれない。俺達がパルティアの騎兵に突き殺されそうになっている時、ダキア人に首を刎ねられそうになっている時、そして怪我や病に苦しんでいる時、それら全ては遠くにいるか、近くにあったとしても何の役にも立たない。盾を翳し、槍を掲げ、渇いた喉に水を差し出して兵卒を助けてくれるのは戦列の両隣の軍団兵だけだ。ならば百人隊や歩兵隊は助け合わなければならない、任務遂行と生還こそが共通の目標となる。

数々の遠征や内乱が物語る様に、強欲に任せて分不相応の栄誉や名声を求めれば身を滅ぼす。
俺達は命懸けで勝利を紡ぐが、栄誉に浴するのは皇帝や将軍達で、不滅の栄光が捧げられるのはローマと神々だ。
それで良い、戦闘開始に際して軍団兵がローマの不敗と勝利を唱和する様に、ローマとは俺達であり、俺達こそがローマなのだから。ならば部隊を率いるのはどんな奴が相応しいか。

答えは人の数だけあるのだろう、おまけに命令や任務と理想は常に衝突する。
だがケリアリスが魂を吹き込んだ百人隊と歩兵隊なのだから、その精神は受け継がれて然るべきだろう。
――つづく――次回、ローマ軍の物語、最終話”今日を摘み取れ”ROMA AETERNA EST!!

補足説明は2ページに。

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2016-07-26 14:48:30 +0000