四斤山砲・野砲の弾薬② (デマレー着発信管)

たまや C101土曜東ア30a

・発明の経緯 逆圧式着発信管の発明は、かつて尖弾に木製信管を装着して或る物体を射撃して試みたところ、その逆圧を受けて忽ち内部に没入したことに起因する。この逆圧現象を利用して1859年にフランスで発明された信管がすなわち1859年式デマレー着発信管((Fusée percutante Desmarest modèle 1859))である。四、八、十二斤の各砲の砲弾で用いられ、1870年の独仏戦争でも使用されている。我国では、十二斤及び四斤尖榴弾に用い、着発信管の嚆矢となった。

・構造 この信管は黄銅製で、頭部は平坦な六角形、管身は円筒形で外部にねじが切ってある。ねじ部外径は20、22、25、30、31mmの各タイプが存在するが、内部の作動機構は全て同じである。日本では少なくとも22、25、30mmのものが使用されたと推定される。
 信管体①の内部には、ほぼ円筒形の空室を鑚開し、この室内に次のような装置を内蔵する。まず1つは、中央に鋼製の筍形釘③をそなえた木塞②である。これを空室の上部に圧入し、2本の黄銅釘④で柱定する。これは、放射の際に木塞が大気の抵抗力のため室内に没入することを防ぐものである。2つ目は、中央に爆発粉を籠めた爆帽⑥を固定した木履⑦である。これを空室の下底に圧入し、2本の小螺⑧で底面に螺定する。この底心下には一孔があり、ガスの侵入する通路となる。また木履の上面には薄布輪⑤を貼り、帽の口面を覆う。木塞の上頭には、綿布片⑨で纏絡した鉄鈑⑩を装着し、2本の細釘⑪でこれを定着する。これは、運搬等にあたって物が木塞に触れることを防ぐために設けたものである。

・作動 デマレー信管を装着した弾丸を火砲に装入する際には、布片の遊端を牽引して鉄鈑を放脱する。これにより信管は起爆可能状態となる。弾丸が標的に到達すると、その撞突力により木塞は激動し、筍形釘は爆帽内に突入してこれを発火させ、その火は室底の小穴より炸薬に伝えて爆起する。なお、着弾の際、極度の軟弱土壌や、着弾角が適切ではない場合には不発になることがあった。爆帽内の薬剤は、出土資料の蛍光X線分析によると爆帽体や土壌由来と考えられる成分以外では、アンチモンとカリウムが顕著に検出されていることから尋常門管の爆剤同様に硫化アンチモンと塩素酸カリウムの混合物であろう。これは、やはり尋常門管の摩子同様、筍形釘に摩擦を増すための鋸歯が施されていることとも矛盾しない。

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2016-05-03 13:07:20 +0000