一木清直(いちき きよなお)は旧陸軍の将校
昭和17年(1942年)8月18日、彼はアメリカ海兵隊に奪還されたガダルカナル島をさらに奪い返すべく一個大隊規模の部隊(一木支隊)を率いて同島に逆上陸をし、その任務を果たそうとします。
大本営からの「同島には弱小兵力しか認められず、さらにそれらの部隊は撤退準備中」との偵察情報を元に、米軍が再整備した元日本海軍の飛行場「ヘンダーソン飛行場」に対し夜襲を敢行しますが、そこに待ち構えていたのは退却間際の残兵などではなく、精強で知られたヴァンデンクリフト少将率いる第1海兵師団だったのです。
彼らが築いた頑強な機銃陣地、さらにキャニスター弾を撃ち出す37ミリ砲にM3スチュワート軽戦車の砲列が一木支隊迫真の総突撃の行き足を止め、一方的な殺戮劇が展開されました。
一木支隊はその戦いで生存者30名という陸軍創設以来初めての大打撃を受け、一木自身もその戦いの最中軍旗と共に壮絶な最期を迎えたのですが、それが戦死か自決か、現代に至ってなお明らかになっていません。
以後軍上層部はその事実を半ば黙殺するかのように、五月雨式の兵力増強を繰り返して泥沼のような消耗戦を繰り返し、確実に貴重な戦力をすりつぶしていくのです。
なお、彼が支那駐屯軍に配属され盧溝橋事件に巻き込まれた際の直属の上司だったのが牟田口廉也であり、また一木支隊を輸送したのが後に戦艦大和と運命を共にした有賀幸作大佐であったのは歴史の皮肉だったと言えましょう。
2016-04-23 13:04:08 +0000