ローマ軍の物語XX “オスロエスの騎兵達”

Legionarius
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騎兵を恐れない歩兵は底なしの勇者か、想像力の足りない馬鹿かほら吹き野郎だ。前者はあまり見たことはないが、足並みが乱れる事を考えれば戦列を共にする場合、いずれも危険な存在だ。我が友にして恩人のクイントゥスの様に大胆不敵な奴は頼りになるし、夜の町で一緒に遊ぶ分には面白いが、どちらかと言えば俺は慎重な奴が好きだ。

道路で馬や荷馬車に撥ねられた人間を見た事のある奴なら説明するまでもないだろうが、速度と重量はただそれだけで致命的な武器になる。想像すると良い、大工や職人が使う錐や針が一点に力を集中させ穴を穿つ様に、馬と人間と甲冑の重みが速度に乗って奴等の握る槍の穂先に注ぎ込まれる様を。その重い一突きの威力を。四つ足で俺達を蹴散らそうと押し寄せ、馬も人間もギラギラと輝く甲冑に覆われているパルティアの重騎兵を見れば、古参兵も落ち着きを無くす。たとえ堅固に防御した厚い戦列ならば十分な勝算があると戦訓や経験から知っていたとしてもだ。新兵ならば歯の根も合わぬほどにガタガタと震えだす。

たまに夢で魘されることがある、風を孕み、ごうごうと音を立てる奴らの光り輝く軍旗、目の前に迫る騎兵達に味方が射掛けた矢や投槍が力なく弾かれる絶望的な瞬間、ドロドロと音を立てて震える大地。壕を掘る暇も無く、槍を構えて突っ込んでくる奴らと俺達の間には僅かな撒き菱しかない。地底でティターンが暴れているかの様に地面が揺らぎ、いつしか手足の震えと区別がつかなくなる。立ち上る砂煙、兜の眉庇から覗く殺気に満ちた騎兵たちの瞳や獣達の胸や前足の筋肉が躍動する様が見え、凄まじい雄叫びと角笛、荒々しい馬の息遣いが押し寄せる。

俺達の槍で串刺しになる事など屁でもないかの様に次々と戦列に突っ込んでくる奴らを見るまで、パルティア人の勇敢さを誰も信じないだろうが、東方の騎兵とローマの騎兵は別物だと考えたほうがいい。作家や保守派の議員が言う様な東方の軟弱趣味だとかいった戯言の真偽は熱い砂を掻き上げて疾駆する奴等の騎兵隊の重い一撃を、目から星が飛び散るほどの強打をその身で受け止めてから精査して欲しいものだ。

そして一番小憎らしいのは奴らの弓騎兵だ。俊敏に動き回り、俺達に矢を雨の様に浴びせかけ、追い縋れば風の様に走り去る。粘り強く攻撃の機会を伺い、俺達が弱るのを待つ為なら何日だろうと荒野を徘徊し、輜重隊を襲い、水場で待ち伏せする。地べたを這いずる俺達が連中に出来る事は殆どない。

とにかく大切な事は周囲に目を凝らし、敵の動きに気を配る事、慌てず隊形を固め仲間を信じる事だ。臆病風に吹かれ、疑心暗鬼に駆られて一人が逃げ出し戦列に穴を開ければ、それが全員の死への道標となる。水で一杯の桶の底に穴を開ける様に隊形は崩壊し、そこを騎兵に突撃されれば全員が死へと引きずり込まれる。だから、真に恐れるべきは敵ではなく恐怖に屈する事そのものだ。

騎兵の武器は速度と迫力と衝撃力だ。堅く守り落ち着いて奴らを捉え、味方の騎兵や弓兵と連携すれば勝機は必ず訪れる。もし十分な騎兵も弓兵も投射兵器も陣地も援軍も無いならば、状況は最悪だ。そんな状態で兵卒に出来る事などあるだろうか。己の不運と無能な指揮官、そしてそんな奴に従った自分の愚かさを呪いながら先祖やクラッススに会いに行く覚悟を決めるくらいが関の山だ。幸いにも我らが最高司令官は俺達に悲壮な覚悟を強いる様な戦いを中止し、シリアへと退いた。
多くの仲間や敵の死、労苦の末に築かれた栄光はこうして無に帰した。

しばらくして皇帝がキリキアで神々の仲間入りをした事が公となり、悲しみに浸る暇も無く俺達は新皇帝ハドリアヌスに忠誠を誓った。勿論、新しい貨幣に彼の顔が刻まれていたからじゃない。いや、本当だ。だがトラヤヌス帝やクィエトゥス将軍と共に俺達が命を懸けて勝ち取ったアルメニア、メソポタミア、アッシリア属州を放棄する事は残念だったし、将軍達が処刑された事も皆の不興を買っていた。それでも彼が若き日にダキアで第Ⅰ軍団ミネルウァの指揮官として、あるいはパンノニアやシリアで素晴らしい功績を上げた事は誰もが良く知っていた。偉大な才能を有した者には変わらぬ忠誠を誓い、敬意を払う、それが軍団兵というものだ。

やがて第Ⅵ軍団もまた西へ、アラビア、シリア、ユダヤの属州に退く事となった。アルメニアやメソポタミアでの終わり無き戦いからは遠ざかったが、火種は消える事無く各地に燻っており、俺達に休みが与えられる事は無かった。
――つづく――次回、ローマ軍の物語、第21話”そしてオルクスは扉を叩く”ROMA AETERNA EST!!

重い一突き:鐙のある時代よりは大分劣るだろうけれど
撒き菱:トリブルス。対騎兵戦闘用の武器。鉄の障害物、馬の蹄に刺さって突撃を妨害した。
ティターン:ギリシア・ローマ神話の巨体の神々。地底で彼らが暴れる為に地震が起こると考えられていた。
第五次パルティア戦争:パルティアとローマのアルメニアへの影響力、権益の争奪が発端とされている。何だか最近の世界情勢でも良く聞く話だ。300年に渡って講和と戦争を繰り返した二大国については「ローマとパルティア:二大帝国の激突三百年史」という本が参考になる。拙い情報収集、割に合わぬ莫大な戦費と損失、束の間の勝利と栄光、そして反乱と泥沼の消耗戦。撤退後に残された不毛な結果を見ていると、思わず今世紀初頭に同地域で起こった事と比較してしまう。それもまた現代の知見による安易な同一視や結果論に過ぎず、当時の情勢や2千年前の人々の価値観を無視したものであるかもしれないが。現在進行形で歴史を刻む現代人もいずれ歴史家の研究対象となる日が来るだろう。果たして21世紀の人間は理性と先見性に満ちた人々と評価されるだろうか。“歴史を学ぶと、我々が歴史から学んでいないことが分かる”ヘーゲル。           
クラッスス:共和政ローマ末期の富豪、政治家、軍人。三頭政治の一角。富と権力を手にし、軍事的名声を求めて4万以上のローマ軍を率いてパルティアに侵攻したが、その戦争計画はあまりに杜撰だった。行軍経路や敵戦力に関し殆ど自発的な情報収集を欠いたばかりか、現地の情勢に明るい者達の助言すら無視し、カルラエの戦いでパルティアの軽騎兵に翻弄されローマ史上屈指の大敗北を喫し、撤退中に捕縛、処刑されて晒し者となった。ローマ軍は半数の死者と1万の捕虜を出し、遠征から生還したのは1万のみだった。真に恐るべき敵は無知無謀な指導者・指揮官かもしれない。
神々の仲間入り:生前は許されないが皇帝は死後に神に列せられる。暴君や暗君の場合は元老院によりあらゆる公的記録から抹消される事もある。冗談を好むウェスパシアヌス帝は死に際して、俺は今まさに神にならんとしていると己を憐み、皮肉った。
新しい皇帝:ハドリアヌス帝(在位117-138年)帝国の際限なき拡大路線を放棄し、財政・物理的限界などの現実を見据え、全土を視察して内政の安定化を図った。賢明かつ偉大な皇帝の一人だが当初からの軋轢に加え、即位時の有力議員の粛清疑惑、メソポタミアやアッシリア等からの撤退政策等が人々の反発を招き、死後に記録抹殺刑に処される所だった。

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2016-03-09 15:44:25 +0000