株式会社文化放送かぶしきがいしゃぶんかほうそう、朝鮮語:문화방송、朝鮮漢字:株式會社文化放送)は大韓民国の全国を放送エリアとするテレビ・ラジオ兼営放送局。略称はMBC。キャッチコピーは「좋은친구MBC(いい友達MBC)」。
日本語に直訳すると「株式会社 文化放送」であるが、日本では「他の商号と誤認させる名称等の使用禁止」「誤認されるおそれのある文字を名称や商号を用いない」といった商法や会社法上の観点から、あえて東京都内で営業する文化放送と区別した呼称「韓国文化放送」等が使用される場合がある。また南日本放送の略称MBCと区別して韓国MBCとも呼ばれている。
▲ ラジオ時代(1961 - 1968)
1961年12月2日に初のラジオ放送電波(呼出符号HLKV、周波数900khz、出力10kw)を発射し、韓国の首都ソウルで初の民間商業放送としてスタートした。1963年4月12日、政府から全国の主要都市(大邱、光州、大田、全州)にローカル局設置許可を取得し、ソウル、釜山をはじめとする6大都市を結びつなげるネットワークを構築した。
▲ 白黒テレビ時代(1969 - 1979)
1969年8月8日、初のテレビ放送を開始(呼出符号HLAC-TV、出力2kw)し、1970年10月5日にメインニュースである「MBCニュースデスク」をスタートした。68年から69年の間に7の民間放送局(蔚山、晋州、江陵、春川、木浦、済州、馬山)と提携関係を結び、計13の直轄局・加盟局を通して全国テレビ放送を実施した。1974年には京郷新聞を買収・合併し、FMラジオを開局した。
▲ カラーテレビ時代(1980 - 1990)
1980年5月の言論統廃合によって株式の7割を韓国放送公社が取得し、民間放送から公共放送になった。同年12月、初のカラー放送を開始した。 1981年には言論基本法に基づき、京郷新聞と分離された。 1982年に汝矣島社屋へ移転し、同年プロ野球団である「MBC青龍」を創団した。1986年のソウルアジア競技大会と1988年のソウルオリンピック中継放送をきっかけに規模と技術の面で大きく成長した。
▲ マルチメディア時代(1991 - 2000)
国際イベントを経験し、巨大組織としてスピーディーな成長を成し遂げたMBCは、マルチメディア・マルチチャンネルの熾烈な競争環境の下で効率良い組織を目指し、バリューチェーン(value chain)に特化した企業を設立し、子会社として分社した。 (MBCプロダクション、MBCメディアテク、MBC放送文化院、MBC芸術団、MBC美術センター) ※MBCプロダクションとMBCメディアテクは、2011年8月にMBC C&Iとして合併された。
▲ デジタル時代(2001 - 現在)
通信と放送の融合によるデジタル時代が本格化し、MBCはインターネットMBC(iMBC)を別の法人として発足させ、多様なインターネットビジネスを展開した。また、ケーブルテレビ(MBCプラスメディア)と衛星放送、新しい概念のDMB(Digital Multimedia Broadcasting)放送を実施する一方、2007年には最先端の放送制作施設を揃えた「一山ドリームセンター」社屋を京畿道一山に建設した。2014年9月には汝矣島社屋時代が幕を閉じ、ソウル市麻浦区上岩洞の新社屋に竣工移転した。
2016-02-15 23:56:16 +0000