【白鬼】茶寮ほおずき

松峰¦イラストレーター

 どうして―――中国天界の神獣・白澤はぼんやり考えていた。
 目の前には、世界一嫌っている―――否、嫌っていたあの闇鬼神がいる。いつもの黒い着流しの上に、紺色に染められた羽織をきっちり着ている。先程まで品の良い茶道具たちを順に拭いていた彼の手は、いつのまにか袱紗から茶巾に持ち替えて、、鈍く光る趣きある茶碗を拭いていた。薄い西日が差しこむ畳敷きの小さな部屋の、どこかから微かに漂うしっとりとした白檀の香りを感じつつ、白澤は逡巡する。

 そもそものきっかけは、一週間ほど前に遡る。
「お邪魔します注文した薬はできてますか」
いつものようにその日も現れた闇鬼神。桃太郎は慣れたように木端微塵になったドアを回収しに走った。鬼灯は涼しい面持ちで金棒をスイングさせ、肩の上に構え直す。
「お前なぁ!ややこしい薬ばっかり大量に注文しといて納期三日はないだろうこの鬼!」
「鬼です」
優男の顔を歪みに歪ませてまくし立てる白澤と、鉄面皮で憎らしいまでに的確に答えを返す鬼灯。この二人の見慣れた光景だけなら、以前まで何千年と続いた関係となんら変わりはない。
 しかし彼らが見せる姿には、新たな続きが加わっていた。
「あれ、お前また痩せたんじゃない? ちゃんと食ってる?」
「まぁ、一応は」
「一応?」
「忙しくて、あまりまともに食事がとれないもので」
白澤は薬を用意しつつ、他愛ない言葉をはさみながら、来訪者のために歩き回り、慣れた手つきで小さな茶壺で茶を淹れる。
「いい香りですね。茉莉花茶ですか」
「正解。茉莉花茶…ジャスミンティーはリラックス効果があるからね。お前、かなり疲れてるみたいだし。あ、ミルクいる?」
「お願いします」
 以前の二人を知り、今の彼らを知らない獄卒ならば首をかしげそうなこのやりとり。顔を合わせるたびに角付き合っていたはずなのに、今はまるで親しい者のように。
そう、二人は『恋仲』なのだ。
 経緯はややこしいので省くが、ひょんなきっかけで、神獣白澤が告白して、鬼神鬼灯が了承して、めでたく付き合い始めたのだ。しかしただ二人の関係は、今までの仲が険悪ではなくなった程度のあっさりとしたものであり、顔を合わせればいがみ合う。それでも以前より互いを気遣う会話が増え、表情筋が死んだ鬼の顔もどこか柔らかくなった。夜には弟子を外泊させて事に及ぶこともあるが、それもごくたまにある程度だ。
「はい、鬼灯さん。お待たせしました」
桃太郎が薬の包みを手渡すと、鬼灯はやれやれというように椅子から立ち上がった。
「待ちましたよ。出来上がってしまえばこんなにすぐに受け取れるのに、この薬剤師さんは何をしているんだか」
「この薬作るの難しいの知ってるだろ! わざわざ作ってやったんだからもっと労働者を労われ!」
「では受け取りついでに、この間頂いたのと同じお粥をください」
売り言葉に買い言葉なやりとりは相変わらずだ。ただ鬼灯は最近極楽満月謹製のお粥が気に入ったらしく、しょっちゅう貰っていた。

「お菓子をどうぞ」
突如掛けられた言葉で現実に引き戻された。鬼灯は茶杓片手にじっとこちらを覘いている。襖が開いて、たおやかな女性が入り、白澤の前に菓子の載った盆を置くと、また静々と退出していった。茶室まで白澤の案内もしたこの女性は確か伊邪那美命の侍女だと言っていた。
 懐紙に菓子を移すと、夕映えを受けて仄かに輝いて見える。あの鬼灯紋を模った和菓子だ。美しいその形に楊枝を差し込むのを惜しみつつ、白澤はまた考えた。あのとき、鬼灯が座っていた椅子に、いつのまにか白い封筒が置いてあった。それがこの茶会の招待状だった。記述のあった場所は地獄の一角なのだが、ここはちゃんと空があり、秋らしい抜けるような青空が広がっている。伊邪那美の使いがいるということは、彼女の神域を借り受けて、一時的に地獄と接続したのだろう。でもなぜそうしてまで茶会などする必要があるのか?恋人同士となってまだ日が浅い白澤はふと、思った。鬼灯のことを、僕はほとんど何も知らない。
 しっとり優しい甘さの菓子が白澤の腹にきちんと収まったのを確認したのか、鬼灯は薄茶を点て終わり、静かに茶碗を差し出した。
「お点前頂戴いたします」
白澤は応え、茶碗を手に取り回す。知識を司る神獣だから茶道の心得は一通りある。口をつけると、非の打ちどころがないほど柔らかく、なめらかに点てられた極上の茶だ。飲み込むと芳醇な香りが鼻に抜ける。
 ひと口終えて茶碗を離すと、鬼灯は静かな眼差しで見ていた。急かすでもなく、じっと深い色を湛えた目を向けられると、逆に時間を割いてはいけない気がして、惜しみつつふた口、三口と飲み干した。鬼灯が滞りない所作で茶碗を取り込むのを白澤はまた無言で見つめる。これまで、茶席として必要な主人と客としての会話以外、全く言葉を交わしていない。
「…すげぇ美味かったよ、おまえのお茶」
沈黙を破る言葉に、深く張りつめていた鬼灯の眼差しがふと緩んだ。
「私は、やりたいことはどれも十年かけてきっちり会得してきたんですよ」
鬼灯は道具を一旦すべて盆の上に置き、改めて白澤に向き直った。
「今までこうして、二人きりでゆっくり話す時間はありませんでしたからね。どうせならシチュエーションも、と」
「確かに、地獄じゃアレだし、桃源郷は常春だしね」
「そして恋人に自分の腕も披露しておきたかったですし」
「お前って結構なこだわり屋さんだったんだな」
ふと会話が途切れ、見つめ合う沈黙に耐え切れず、同時にプッと吹き出した。
「アッハハ、おかしいね。何千年も犬猿の仲だったのに、いざこうなったら普通に笑えちゃうんだ」
「ええ、嘘みたいですね」
口に手を当てて小さく笑う鬼灯の表情が、不意にこわばった。
「…気分はほぐれた?」
そっと問いかけると、鬼灯は背筋を正し、うなずく。
「じゃあ、やっぱり」
「ええ…私は、もう長くありません」
 剛腕の健啖家として有名な彼が粥ばかりで体がもつものか、と考えて至った結論は間違っていなかった。普段の店の喧騒から離れ、静かに愛する人とふたり、じっくり時間を紡いて、ようやくたどり着いた結論。森羅万象を知る神でありながら…と、今さらながら自分の不甲斐なさを嘆く。
「悪かった。全然気づいてあげられなくて」
思わず深々と下げた頭を、鬼灯は肩をそっと押して上げさせる。
「あなたは悪くありませんよ、白澤さん。ただ、無駄に労われることなく、いつものように、貴方といたかったのです。全ては、私の我儘です」
「だったら、僕の我儘も聞いてよ。僕は神だ。もしお前が死んで輪廻の輪に戻るのなら、僕はお前を召上げて眷属にすることもできる。お前が良いって言うんなら」
「魅力的な提案ですけどね、私を贄に取るということですよね。お断りします。私は二度と、贄にはなりたくないので」
どういうこと、と言いかけた白澤の口を、鬼灯はそっと塞ぐ。長いですよ、と呟いた鬼灯の眼の輝きとこの時間を、僕は永遠に忘れることはないだろう。香りの記憶は最も強く脳裡に刻まれるという。アイツが選んだ白檀の香を、茶の深い香りを、そしてアイツの匂いを。鬼灯は、僕の自慢の家族だ。

 閻魔大王第一補佐官・鬼神鬼灯の訃報が届いたのは、それから間もなくのことだった。

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2016-02-13 16:05:18 +0000