ローマ軍の物語XⅨ “ヒスパニアから来た男” 

Legionarius
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パルティアとアルメニアにおける戦いは俺の東方に対する神秘的で曖昧な幻想を完全に剥ぎ取った。
戦争の1年目、ガイウス・ブルッティウス・プラエセンス将軍指揮下の第Ⅵ軍団は瑞々しい沃野を通り抜け、岩陰すらない荒野を歩いたかと思えば寒々しい山間部を踏破し、ひたすらに敵を追い求めた。
全く信じて貰えないだろうが、俺達の軍団はアルメニアの高地で雪の降る中作戦を続行したのだ。
誰もが現地民に倣って雪靴を履いたが、足の指を失くすのが嫌なら絶対に気をつけなければならない事がある。
靴下はいつだって乾いてなければならないって事だ。

2年目はメソポタミア征服を目的とした挟撃作戦が展開された。
メソポタミアを絞め上げる巨大な二つの腕、皇帝指揮下の軍勢が西部を、東部をルシウス・クィエトゥス将軍が攻撃し、エデッサ、ニシビス、シンガラなどの都市が陥落し、征服は完了した。こう言うと簡単に聞こえるかもしれないが、たった一年で皇帝が五回も凱旋将軍の称号を送られた事だけでも、その激闘ぶりが分かるだろう。

そして3年目のある日、ユーフラテスのほとりで俺はパルタマスパテスを引き連れた皇帝に再会した。
皇帝を間近で見たのはダキアと凱旋式以来だっただろうか。激務の為せる業か、髪は真っ白でその老いは明らかだった。
それでもその眼光は些かも衰えず、遥か東方まで攻め寄せ、皇帝は毎日精力的に働いていた。神々は一体どうやって一人の人間にこれほどのウィルトゥス(virtus:美徳、力量、勇気、雄雄しさ)を封じ込めたのか、誰もがそう思うほどの働きぶりだった。

俺の度肝を抜いたのは皇帝がティグリスとユーフラテスを結ぶためにされた事だ。
皇帝はパルティアを征伐するために物資で満載の船と共にユーフラテス沿いを進んだ。だがパルティアの首都クテシフォンはユーフラテスの北部を流れるティグリスの左岸に所在し、俺達が首都に到達するには兵站、行軍距離など問題が山積していた。別の河からもう一つの河へ、空を飛ぶ船があるなら問題は解決するのだが、そんなものはない。
それを皇帝はゴルディアスの結び目の様に一刀両断にしたのだ。
驚くほど単純だが、恐るべき労力を要する方法によって。

まず最初に皇帝は両大河が最も接近する場所を調べた。運河の開鑿も検討されたが両大河の高低差からそれは却下された。
そして大量の“ころ”と巻き上げ機が準備された。何が起こったかはもう分かるだろう。
大量の船がユーフラテスからティグリスに向かって陸地を曳かれて進んだ。
皇帝にその気さえあれば船も空を飛ぶ、という訳だ。

クテシフォンは予想外の速さで攻撃に晒され、パルティアの首都は慌てふためき、指導者達は退去し、都市は無抵抗のまま降伏した。誰も考えつかない様な事を実行し、たとえ考えついたとしても普通なら不可能だと諦める様な事を成し遂げる、それがトラヤヌス帝だった。

矢を射掛けられるほどの最前線で俺達と肩を並べ、戦いを指揮し、部下達を激励する皇帝の姿を目にした時、行軍する俺達の横を下馬して埃を蹴立てながら颯爽と歩き、数え切れないほどの部隊や明日死ぬかも分からない兵卒に親しげに声を掛ける皇帝を見た時、
全世界の支配者が辺境の土埃に塗れた市場でわざわざ馬を止め、小休止していた俺達の百人隊に手を上げて挨拶した時、俺の心は鷲掴みにされた。
この皇帝は、ヒスパニア・バエティカからやって来たこの男はローマの歴史において永遠に語り継がれる人物だと、そう確信した。

勿論、高貴な人々にとってそんな事は単純な兵卒を掌握する為の造作も無い芝居の一つに過ぎないのかもしれないが、少なくとも皇帝はそれに命を懸けていた。最高司令官が命を懸けているのなら、軍団兵はそれに応えようとするものだ。
そして俺の目にはトラヤヌス帝は命を預けるに値する偉大な指揮官であるように映った。
かつてのマケドニア人や、カルタゴ人や、ガリア人がその同胞に比類なき男を見出した様に。

ダキアの都サルミゼゲトゥサで完璧な勝利を収めた時、既に俺の皇帝への忠誠は宣誓の儀式の様な形式上のものではなく、本心からの忠誠心となっていたが、東方でそれは揺ぎ無いものになった。幸い俺達の賢明にして親愛なる皇帝陛下はインドへ向かう様な事はせず、俺達はヒンドゥークシュ山脈を越える羽目にはならなかった。

だが、クテシフォンを攻略し、カラクス・スパシヌ(バスラ)に至り、皇帝がその足でペルシャ湾の浜辺を踏みしめ、水面の輝きに目を細めて名残惜しそうに東を眺めた時、俺達が皇帝を囲んで通算13回目の凱旋将軍の歓呼で盛大に祝福したまさにその時、その瞬間こそが眩い勝利と栄光の頂点となった。日は昇り、そして沈む。頂点を極めれば、その先に待つのは下り坂だ。
そう、勝利は長くは続かなかった。メソポタミアを含め各地で反乱が発生し、俺達は来た道を引き返し、泥沼の戦いに引きずり込まれた。戦いは何時だって始めるよりも終わらせるほうが難しい。部屋を散らかすのは簡単だが、片付けるのは厄介な様に。

こうして甘美な一時は終わりを告げ、パルティア人の反撃が始まった。
第Ⅵ軍団と俺達の百人隊はローマの歴史に燦然と輝く栄光を手にしたが、引き換えに安くはない犠牲を払うこととなった……。
――つづく――次回、ローマ軍の物語、第20話”オスロエスの騎兵達”ROMA AETERNA EST!!

髪は真っ白:基本的には高齢者の少ない軍団においてトラヤヌス帝の白髪は非常に目立ったらしく、最前線で指揮を執る皇帝を識別するのは容易く、実際至近距離に矢が射掛けられる事もあったようだ。

クテシフォン:パルティアの首都、バグダードの南東、ティグリスの東岸https://goo.gl/maps/sS9bQJFoZ3A2

ゴルディアスの結び目:ゴルディアン・ノット。フリギア(アナトリア、現在のトルコ)のゴルディオンの伝説。荷車の轅に複雑に結ばれた紐を解いた者は世界を制する、という伝承。アレクサンドロス大王が一刀両断、または留め具を抜いて解いた。現代では難問の比喩表現であると同時にそれを大胆な方法で解決する事を指す。

陸地を曳かれて:この遺構はユリアヌス帝のペルシア遠征でも使用されたようだ。

無抵抗:当時のパルティアは東部をヴォロガセス3世、西部をオスロエス1世という二人の王が支配していた。まさに内紛状態であり、トラヤヌスの侵攻を受けた西部は準備万端のローマ軍(17個軍団!)と東部に挟まれ極めて不利な情勢にあった。東部のヴォロガセス3世にしてみれば西部の弱体化は好機だったが、東部は東部でアラン人の攻撃を受けており、思う様に動く事はできなかった。汚いな、さすがローマ人きたない。もっとも、パルティア側も素早く撤退し、戦力を温存して反撃の好機を窺っていたのかもしれない。

甘美な一時:ローマ帝国の最大版図はトラヤヌス帝によって達成されたが、それはほんの一時に過ぎず、次代のハドリアヌス帝は領土の維持に必要な費用と兵力が莫大であるという現実を鑑み、獲得された地域を放棄した。

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2016-01-29 14:38:33 +0000