大阪電気軌道デボ1・デボ19形→近畿日本鉄道モ200形:
近鉄の前身である大阪電気軌道が大阪~奈良間の路線(現在の近鉄奈良線)を開業させるにあたり
1914年に汽車製造と梅鉢鉄工所(のちの帝國車輛)にて新造した。
1920年には基本設計を同じくして川崎造船でデボ19形が登場している。
特筆すべきは生駒山付近の急勾配に対応すべく、当時の電車としては破格の高出力を誇る
アメリカ・GE製のGE-207Eを搭載した点である。
当時の電車は37kW級のモーターが一般的だったのだが、このGE-207Eは1基当たりの定格出力が
123.1kWと非常に強力であった。そのため2基モーター搭載の車輛であるにもかかわらず、
急勾配を力強く走り回ったという。当初より総括制御に対応していた。
この木造ボギー車は、途中事故での廃車や破損はあったものの、形式をデボからモに変えつつ
1940年代まで使用されていた。
しかし、1948年にモ9号+11号+17号の急行列車が生駒トンネル内でのブレーキ故障から暴走、
先行列車に追突してモ9号が大破、双方の列車で49人の死者を出す大惨事となった。
これ以後、日本の各大手私鉄では木造車の淘汰が進められていくことになる。
1950年代には番号整理の上でモ1形・モ19形は統合され、モ200形になるが1964年に全廃。
現在はデボ14号(モ212号)が五位堂研修車庫で保存されている。
近鉄では旧型車両の保存は原則として行われていないため、この車両が唯一の保存車輛である。
2015-12-20 04:45:30 +0000