ローマ軍の物語XⅧ“ネプトゥヌスの隣人達”

Legionarius
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人生の有り様は決して平等ではないけれど、死だけは誰にでも等しく訪れる。美味い話が万人に等しく降り注ぐのなら良いのにそうはいかないらしい。とはいえ数年の間、俺達は幸運を繋いでいた。クイントゥスはしぶとく生き残り、俺の隊のテッセラリウス(連絡士官)に出世した。アウルスはシグニフェル(旗手)になり、俺はと言えば何の因果か連絡士官を経て副官に抜擢されていた。

何故かは謎だがケリアリス隊長に目をかけられていた。いや、奴の指揮丈が俺の側頭部を”優しく”撫でた回数を指折り数えれば目をつけられていたというべきだろう。退役するつもりなど毛頭ない隊長を補佐する為に、転属した前任者同様に牧羊犬みたいに隊列の周りをうろちょろして戦列を崩す奴を小突くのが俺の仕事だった。隊長同様にあまり皆から好かれる役回りではなかったが、自分にはお似合いの仕事だ。元より人気者ではなかったし、棚からはみ出す小物に我慢ならない性質だ。ハスティレー(副長が携帯する棒)の使い方はケリアリスと副官が嫌と言うほど体に叩き込んでくれたのだから、俺の仕事ぶりはまさに完璧だった。給料が増えたのは良いけれど、隊長補佐として大量の書類仕事を始末する羽目になったのはあまり歓迎すべき事ではなかった。何しろ俺は“詩人”だから書式の厳格なお役所の書類は苦手だ。要するにつまらない事まで細かくて面倒臭いという話だ。

東方への移動命令が来たのはその頃だ。隊長は分遣隊が第Ⅵ軍団本隊に合流する事を早くから見越していたに違いない。俺を副官に推薦したのは連絡士官経験者である事に加え、事務能力を見込まれた事と東方で広く用いられるギリシア語を幾らかは覚えていたからだろう。つまり、望外の出世は何もかもアスパシアと葡萄酒のおかげだったという訳だ。若い頃にもっと勉強しておけば良かったという話はよく聞くが、きっと俺の家系は何代遡ろうが同じ事ばかり言っていたことだろう。機会があるのなら勉強はしておくに越した事は無い。

具体的にどこで何をするかは秘匿されていたが東へ向かう軍団の最終目的地は百年前から同じだ、子供にだって見当がつく。ゲルマニアの森と同様に俺達の先輩諸氏を飲み込み、その血と肉を喰らい尽くしてきた東方、アルメニアかパルティアだ。俺達の分遣隊は相変わらず各地に貸し出されていたので、東方に駐屯する本隊に合流するには海を渡る必要があった。

岸壁は海鳥の鳴き声や荷役奴隷の掛け声、修繕の槌や鋸で騒々しかったし、魚介類の腐った様な匂いや潮臭さで眩暈がしたけれど、日に照らされて暖かく、爽やかな海風が吹けばそう悪い気分ではなかった。船に乗れば新しい世界へ行く事が出来る。見た事も無い様なものを見て、信じられない様な酷い目に遭ったり、言葉を失うほど素晴らしいものに出会うのだ。我が家でこれほど遠くまで行ったのは祖父ぐらいのものだ。母に至ってはきっと生涯、七つの丘を拝めぬ場所に行く事はないだろう。隣の区まで買い物に行って迷う様な方向音痴にはその方がいい。

東方行きについて、皇帝はアレクサンドロス大王になろうとしていると噂する奴もいた。勿論第Ⅵ軍団は皇帝に忠誠を誓っていたが、大王の様にインド行きはご勘弁願いたかった。どういう所かよく知らないが、歩いて何日かかるかはアスパシアが計算してくれた。計算結果は思い出したくも無い。ローマ人が勇敢さで劣るとは思わないが、俺達はマケドニア人ほど気前が良くないし、距離を測るのは得意だ。インドは遠すぎる。道中にでかい風呂と十分な葡萄酒があるなら考えても良いが。

俺達を東方へ運んだ輸送船“輝ける猪号”は戦闘用のガレーと比べるとずんぐりした船だったが、ガリア風の妙な名前に違わず寄り道もせず素晴らしい旅を提供してくれた。最初は船酔いが酷くて皆揃いも揃って胃の中を空っぽにする、すこぶる楽しい作業に励まざるを得なかったが……。それでも数日もすれば皆慣れるもので、揺れる船で賽子を転がす余裕すら生まれていた。中には同僚との博打に熱中するあまり“予定表に無い戦闘訓練”を実施し、パルティア人と会う前に怪我をする“練習熱心な奴”もいた。

海軍の連中は軍団兵とは少し雰囲気が違う。規律が厳しい事には変わりないが、信心深い奴が多い。変わった奴も多いが良く纏まっていた。船に逃げ場はないし、沈んだら全員仲良くお終いだから神々を敬い団結するのかもしれない。俺達は船の上でふらふらして、奴らは陸に上がるとふらふらする、酒を飲めばどちらも同じ様なものだが。ブリタンニアからアエギュプトゥス(エジプト)まで知る限り全ての港を訪れたという船長の話や、水兵独特の妙な仕草や言葉遣いが実に面白かった。

多分連中は俺達の事をどいつもこいつもそっくりな奴らだと思っていただろう。確かに俺もそう思う、とはいえ兜を脱げば色々な奴がいる事に気づくだろう。それはどんな仕事であれ、どこの国の奴であれ同じ事だ。本当に色んな奴がいる。同じ森に生えているからといって全部同じ植物とは限らない。つまり、そういう事だ。
――つづく――次回、ローマ軍の物語、第19話”ヒスパニアから来た男”ROMA AETERNA EST!!

ネプトゥヌス:ネプチューン、ポセイドン。海の神
テッセラリウス:連絡士官、将校や部隊相互の連絡を担当
シグニフェル:軍旗持ち、軍団旗手はアクイリフェル

書類:命令、連絡、報告、休暇願、補給、装備管理等々ローマ軍は大量の文書で動いていた。ウィンドランダの公開記録http://vindolanda.csad.ox.ac.uk/

パルティア:現在のイランを含む地域に興った王国、弓騎兵や重騎兵を擁するローマの宿敵。ローマと300年に渡り激戦を繰り広げた。
七つの丘:ローマは七つの丘を持つ土地から発した。

インドは遠すぎる:天動説で著名な古代ローマの天文学者にして地理学者、クラウディオス・プトレマイオスによる世界地図は2世紀のローマ人の地理認識(学者と庶民の乖離はあるかもしれないが)を理解する助けになるかもしれない。アフリカ大陸は赤道まで、東方はインドシナ半島、中国の端までを記録している。当然ながら1,800年以上前の地図故に誤差は大きいが、その誤算がコロンブスのアメリカ到達など大航海時代に大きな影響を与えた。万事塞翁が馬。もっとも、その後の新大陸の先住民を襲った惨禍を思えば、堪ったものではなかっただろうけれど。
沈んだら:当時の航海にはGPSも羅針盤も精密な海図も無い。船出はまさに冒険であり、遭難は日常茶飯事であった。一方で沈没船の遺物により我々は当時の世界に触れる事が出来る。

ローマ海軍:帝国各地に基地を持つ海軍。当時の覇権国家ローマに匹敵する海軍力を有する周辺国は存在せず、治安維持、河川・国境警戒、輸送等が主任務だった。ミセヌム、ラウェンナに二大艦隊が、他にアレクサンドリア、ブリタンニア、ライン、ドナウ、ポントゥス等にも艦隊が存在した。高級将校は騎士階級以上のローマ人、下級将校はイタリア本国人、水兵は小アジア、エジプト、ダルマティア、シリア出身者が多くを占めた。市民権を持たない水兵も26年勤め上げれば、補助軍兵士同様に本人と家族に市民権が与えられた。

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2015-12-09 15:55:11 +0000