石原莞爾:http://mira00.hatenablog.com/entry/2015/06/15/231227
東條英機:http://mira00.hatenablog.com/entry/2015/06/15/215919
近衛文麿:http://mira00.hatenablog.com/entry/2015/06/16/005158
東條英機について調べて驚いたのは、ヒトラーやスターリンのような残虐無比な
極悪人とは全く違って、彼がむしろ「善人」と言っていいような男だったことだ。
軍人勅諭にある、上の者を敬い下の者を労る、という教えを忠実に守っていた。
歴代の総理付きの運転手からは「今までの総理の中で一番心遣いのある立派な人だった」
と言われている。戦時中の食力配給がちゃんと行き届いているかを確認するために、
街のゴミ捨て場を周り、残飯を見て回ったらしい。
石原はこのゴミ箱周りを嘲笑っていた。そんなことやってる間に早く終戦しろ、ってのが
石原の考えだったろうから。
東條は田舎の小学校の校長とか、役場の役人とか、会社の管理職とか、そんな立場にいたなら、
目下の者への気配りを大事にする優しい人として好かれるようなタイプだったろう。
昭和天皇は東條のそういう性格を気に入っていて、かなり好感を持っていた。
また天皇の意向に忠実であり、天皇が対米戦を拡大せずに早めに収めるように告げると
それに従い戦線が拡大しないように東條なりに懸命に努力はしていた。
だが結局、部下思いが裏目に出て、事変以来大陸で死んだ兵隊たちを無駄死に扱いするような
収め方はできない、という「死者への負い目」に駆られ、どんどん泥沼にのめり込んで行った。
石原が対米戦の前に「油が欲しいからって戦争する馬鹿があるか」と大陸からの撤兵と
中国への謝罪を提案したのとは雲泥の差がある。身の回りのことにはよく気を配るが
それ以上の射程でものを見る能力はゼロに等しかった。つまり東條ってのは「おっさんの少国民」
だったのだ。これが石原が「東條上等兵」と罵声を浴びせた所以なのだと思う。理念が全くない。
でも対米戦の最大の責任は、こういう人間に政権を丸投げしてしまった近衛文麿にあると思う。
近衛文麿と言う男は最低の総理だった。陸軍が大陸でど単純に暴走したと言うのはどうも
事実ではないようだ。第一、あの広大な中国大陸を日本が完全に制圧することなど、
人口から言っても不可能なのは明白だった。
日中戦争の初期に中国の後ろにいたドイツを仲介にした停戦交渉を日本側は何度も試みている。
だが最終的に停戦交渉を決裂させた当事者は近衛なのだ。
また近衛は事変勃発の当初は戦争不拡大を明言していたくせに、次の年には陸軍の予算を
めちゃくちゃな規模で増額していたり、支離滅裂なことをやっている。それでなんか面倒な
ことが起こるとすぐに解散総辞職。近衛内閣てのは第三次まであるんだが、明治から平成までの
歴代総理の中で最低点を付けられてる。やってることが行き当たりばったりでメチャクチャなのだ。
海外の歴史研究者たちに言わせると、ムソリーニにせよヒトラーにせよ、戦争のリーダーとしての
顔がちゃんとあるが、日本の場合は個人としての顔を持ったリーダーがいないのだそうだ。
要するに誰が真の意味でリーダーだったのかはっきりしないということ。
まぁ極東軍事裁判で戦争責任者として東條が裁かれてしるし、いちおう東條が戦時中の日本の
代表だということになってるけど、東條内閣は終戦前に倒れている。ヒトラーもナチスも最後まで
トップであり続けたのとは全く違う。
あの時代の難局に、近衛が総理になってしまったのが日本にとっての最大の不幸だったんじゃ
ないかという気が調べれば調べるほどして来る。五摂家の最高位の出だかなんか知らないが、
あんな訳のわからない宮様に政治を任せてしまった日本国民にも多大な責任がある。
無辜の民が犠牲になったなどという被害者意識だけで太平洋戦争、大東亜戦争を語るのは嘘だ。
日本の政党政治が育たなかった政治的土壌の貧弱さ、民度の低さ、菊池寛の指導の元で
日本文藝家協会がそのまま日本文学報国になった文学者達のいい加減さ、国防婦人会や少国民の熱狂、
それら全てが誰がリーダーなのか分からないまま日本全体の勢いを作り出してしまい、あの惨禍に
突入して行ったのだ。
政治への当事者意識の欠如と「空気を読む」ことを至上とする雰囲気社会。これは今も変わらない。
ホーキングは高度化したAIが核兵器以上の脅威となって人類を滅亡に向かわせるかも知れないと
言ったそうだが、直接のドンパチが起こる前に国家規模のサイバーテロで第三次世界大戦が
引き起こされることは充分なリアリティであり得る。
石原莞爾の「世界最終戦論」は過去の思想だと片付けられないような気もする。。。
2015-06-25 08:36:46 +0000