貴志川を走った古豪

うきは

南海1201

1934年から43年にかけて、大型急行用2001形を保管する中型車として製造された18m級の半鋼製車である
当初の15m級木造車の鋼体化更新から、新製増備、火災復旧、戦災復旧等の名目でグループ総計72両が製造された
車内は2ドアロングシートで正面貫通扉付き半流線型の軽快な出で立ちでデビューした
戦前は南海線の普通列車用として、戦後は南海線、高野線の共通使用車として後半に活躍
一部は国鉄のMT40を新製架装され1551を名乗った。急行用2001引退後にはこの1551が紀勢線直通のサハ4801(国鉄スハ43の南海仕様)牽引の任に就くようになる
南海では1973年にそれまでの600Vから1500Vに昇圧されることになったが、本形式については昇圧改造はなされず、1971年頃より地方私鉄への譲渡廃車が進行した
また、一部は600Vのままで残る貴志川線に転属し、南海ではここで集中的に運用されることとなる
他社譲渡は水間鉄道と京福電鉄福井支社について行われ、それぞれ主力として活躍したが前者は1990年までに東急7000系に、後者は1985年までに阪神からの譲渡の車体に載せかえられ消滅している
結果として最後まで残ったのは貴志川線で1995年に2270系が投入完了されるまでほぼ本形式のみで使用され続けた
60年の長きに渡って走り続けたが、最終的には、南海残留グループが、他社に譲渡された車両群よりも長期に渡って使用され続けたことになる
現在、水間鉄道に旧モハ1240が1両。旧加悦鉄道の「加悦SL広場」にモハ1202が静態保存されている

てことで、あんまり描く機会のない南海の電車を描いてみた
先日ひさしく貴志川線に乗ったのでその記念に
貴志川線あらため、和歌山電鐵は今でもローカル色豊かな好ましい路線であるが、
こんな古典電車が走っている時期に訪れておきたかった
1995年と言えば南海の釣り掛け電車が一斉に淘汰された時期で、直前に汐見橋に残っていた1521系には乗れたものの、流石に中学生高校生にとっては和歌山は遠かった・・・

#railway#南海電鉄#モハ1201#釣り掛け電車#貴志川線#モハ1201形

2015-06-06 12:58:55 +0000