私が悪夢から目を覚ますと、見覚えのない天井が見えた。
「ここは……?」
全身の痛みに耐えながら半身を起こし、あたりを見回す。私に着せられた男物の寝間着の下には、えらく素人じみた、ヘタクソな包帯が巻かれていた。おそらく命の恩人であろうその人にこんな事を思ってしまうのは、外科医の悲しき性と思いつつも。
「気がついたようね」
そう言って部屋に入ってきたのは、一人の小柄な少女だった。私は思わず身を固くした。この少女のツインテールには見覚えがある。そう、私を神田川に沈めた、悪魔の様な女……。
この包帯は彼女が巻いたものだろうか。実にめちゃくちゃな巻き方ではあるものの、私の身体は所々、民間療法の程度できちんと手当が施されている。どうやら今の私は、彼女の捕虜といったところか。
彼女はひとしきり私を睨み上げた後、私の首筋に手をあてがった。
「うん、脈は正常ね」
正常なわけがないだろう。敵に捕まり動揺しているというのに、脈拍が早まらないわけがない。現役医者にお医者さんごっことはいい度胸だ。……等と思ったのもつかの間。私は、彼女の目の奥に一瞬殺意が宿ったのを見逃さなかった。まばたきの間に見せた鋭く冷たい、太刀の刃先のようなその目つきはまるで、親のカタキを目の前にするかのような、そんなものだった。私の首に手をあてがったのも、絞め殺そうとしたからに違いないのだ。
「お腹空いてる?一応食事を持ってきたけど」
そう言って彼女は、一旦部屋の戸を開け、盆を持ってすぐに戻って来た。差し出された盆の上は、難解なスクリプトの如きケチャップ味の暴力でも、ウイルスが蝕むかのようにひじきで真っ黒にうめつくされているわけでも、更には卵が横にそれたチキンラーメンなどでもなく、米や味噌汁、焼きナスに和え物、漬物といったもの等がバランス良く、色とりどりに並べられた、目にも優しいユーザーフレンドリーな精進料理だった。実にうまそうだが……
「失礼ね。毒なんか入ってないわよ」
盆の上を凝視するだけでなかなか箸をつけようとしない私に、少女は不機嫌そうに言った。負傷した相手とはいえ敵と対峙するのに丸腰というわけはあるまい。例え今この場にパソコンがなくとも、少女のかわいらしいその姿を問題なくバラバラの肉片にできるほどの手練と知ればなおさらだ。おそらく後ろ手に隠し持っているであろう五鈷杵で撃たれないうちに、私は箸をつけた。……実に素朴で、家庭的な味だった。全て平らげ、ごちそうさまと言って手を合わせた。
それを確認するなり、彼女は盆を下げ、そして言った。
「それじゃあ、色々と聞かせてくれるかしら」
そう来るのはわかっていた。私を殺さずに捕らえたは、私から教団の情報を得るために違いない。だが、私の口からそんなことを言う訳にはいかない。ここは舌を噛んで自決するべきか……。
しかし、私が死ねば……教団に戻らなければ、教え子二人はどうなる?きっと後任が面倒を見てくれるだろうが、それはあまりに無責任ではないか。彼らを心無き戦闘兵器に仕立て上げ、戦場に送り出した責任は私とて皆無ではない。むしろ、善悪の判断すら付かぬ、清さも穢れも知らない無知な子供達の手を引き、悪の道へと導いたのは私ではないか。戦闘で傷ついた彼らの今後が気がかりだった。どうにかして教団に私の現状を伝えなくては。そして、この少女に口を割らされる前にどうにかここを抜けださなければ……。
――不意に、肩にぽんっと手を置かれた。少女は、いまいち心中をうかがい知れない目で私の顔をのぞき込んだ。大丈夫?とでも言うように。
「愚問だったようね」
そう言って彼女は申し訳無さそうに、私の肩を二三回ぽんぽんと優しくたたいた。
これには驚いた。彼女は、私の苦しい心中を知ってか、そんな私から情報を搾り取ることをあっさりと諦めたのだ。更に私の心配までしている。私は彼女が先ほど見せた太刀の刃先のような目を思い出した。殺したい相手にこれほどまでの情けをかけるのは、そうたやすい事ではない。
……というやたら前フリの長い絵。
2015-05-11 10:34:05 +0000