南海電気鉄道20000系→2200・2230・2270・2208系:
1960年代後半、南海高野線沿線は宅地開発により、大運転(全区間直通運転のこと。平坦線のなんば~橋本間は急行である)の4両編成は混雑が慢性化していた。
そこで当時の主力だった21000系(illust/50043091)に増結するべく2両編成のズームカーが誕生した。
これが22000系で、同系列同士の編成もありうるため、貫通扉を備えているのが特徴。
当初は非冷房だったが、最後の4両は冷房つきで落成、また旧帝國車輌の工場設備を引き継いだ東急車輛大阪製作所が
1971年をもって鉄道車両の製造を中止したため、以降は横浜製作所(現・総合車輌製作所横浜事業所)で製造することとなった。
客室はロングシート、混雑緩和のために両開きドアを備え、大運転における混雑緩和に寄与したが、
1990年代になるとこの大運転運用につくズームカーが2ドア車であるために朝夕のダイヤ乱れが常態化。
一方で、その頃にはまだ1521系などといった吊り掛け電車が支線区で運用されていたため、これを置き換える必要があった。
そこで、この22000系の一部を、支線区の運用に充当するために改造を実施したのが2200系であるが、
日中は大運転にも引き続き使用されるためにズームカーとしての性能を残していた。
だが、その後大運転用の車輌は2000系に統一されることとなり、老朽化の進んだ22000系・2200系は晴れ舞台を退くことになった。
このときに支線区へ転用された22000系は、床面高さを60mm上げたうえで、ワンマン運転に対応できる構造とした。
これが2230系で、これらを除く編成のうち、貴志川線用として運転台寄りのドアを移設するなどの改造を行ったのが2270系である。
もっとも、改造から漏れた22001・22003・22017・22021Fは廃車、このうちの22003Fは熊本電気鉄道へ譲渡され、
2270系もその後、貴志川線が和歌山電鐵として分離されたのに伴い全編成が移籍。
残ったのは2200系3編成と2230系3編成のわずか12両を残すこととなった。
2009年にはこのうちの2203Fが観光列車「天空」として改造され、車輌番号は「ハシモト」「コーヤ」の語呂合わせからそれぞれ2208号・2258号とされた。
そのため形式もモハ2208・モハ2258形とされており、このことから2208系とも呼ばれる。
現在は2200系・2230系が各支線、2208系は高野線山岳区間での運用についている。
2015-05-02 13:31:40 +0000