後嵯峨天皇 1220~1272
土御門天皇の皇子
上皇として長子後深草天皇に迫り弟の亀山天皇に譲位させた
その後、亀山天皇の皇子を皇太子とする
これが、持明院統(現在の皇室)と大覚寺統の対立のはじまり
両統迭立(りょうとうてつりつ)
両統が交代で皇位につくこと
後醍醐天皇 1288~1339 大覚寺統
後の建武の新政の中心人物
北条高時(ほうじょうたかとき) 1303~1333
14代執権 北条氏最後の得宗
内管領 長崎高綱・高資(賄賂政治)に実権を委ね幕政を衰退させる
元弘の役で、後醍醐天皇を隠岐に流した
御家人が離反し、新田義貞の鎌倉攻撃を防ぎ得ず、東勝寺で自殺
楠木正成(くすのきまさしげ) ?~1336
河内国の豪族 元弘の変で後醍醐天皇に呼応し挙兵
幕府軍と戦い、建武の新政実現に貢献
摂津・河内・和泉の守護を任ぜられる
足利尊氏が建武政府に反対するや否や一度は九州に敗走させるも
尊氏が再挙し大軍で東上し、摂津の湊川で戦死
足利尊氏 1305~1358
元弘の役後、天皇側に通じ六波羅探題を攻略
鎌倉幕府崩壊の契機をつくる
しかし、建武の新政の武家の不満を背景にして
中世代の乱で関東に下り、離反
室町幕府初代将軍(在職1338~1358)
新田義貞(にったよしさだ) ?~1338
後醍醐天皇の呼びかけで、鎌倉を攻め幕府を滅ぼす
建武政府で、武者所頭人となる
赤松則村(あかまつのりむら) 1277~1350
元弘の役に護良親王の命を受け播磨で挙兵
尊氏とともに六波羅探題を攻め落とした
建武政府で優遇されず、尊氏とともに離反
播磨守護となり、繁栄する
護良親王(もりよししんのう) 1308~1335
後醍醐天皇の皇子
元弘の変以来、天皇を助け、討幕運動を進め
成功後、建武新政府の征夷大将軍となる
尊氏と対立してその敗訴に失敗
鎌倉に幽閉され、中先代の乱で足利直義に殺される
2015-04-20 13:49:50 +0000