北条貞時(ほうじょうさだとき) 1271~1311
時宗の子
1285年 霜月騒動
→1285年11月に安達泰盛とその一族が滅亡した事件
9代執権の貞時の外戚泰盛の勢力を恐れた
内管領平頼綱が、事実を曲げたり、ありもしない事柄を作り上げたりして、
泰盛一族のことを目上の人に悪く言って討伐した。
以後、内管領の専権が強まり、貞時時代に得宗専制支配が確立!
1293年 平禅門の乱
→内管領平頼綱を追討
1293年 鎮西探題の設置in博多
→西国防備と九州統治強化のため博多に設置
北条氏一族を任命
1297年 永年の徳政令
→貞時が発令
借りた金を返さなくていい…ウソやろっ!!という法令
御家人はその時は(^◇^)となったけど
その後、誰も金を貸してくれなくて、かえって御家人はorzになった。
悪党の出現
→地方でしだいに実力をたくわえた武士の中には、
徒党を組んで荘園を侵略する人のこと
幕府は取り締まろうとしたが、悪党をかくまって、自己勢力をのばすことに
利用する者もでる有様で、悪党は出没。→社会不安増大…。
2015-04-15 14:55:38 +0000