本来は改睦月型の新規増産規格に法った最新鋭試作義体だったが、原因不明の暴走を引き起こして工場から脱走したもの。その後プログラムの組み上げ最中に何らかの介入があり、規約にない個性が植えつけられたまま起動してしまったことで義体に定着、暴走したことが判明。一度定着した個性は消すことができないため、以後はそのままの個性で過ごすこととなる。
改睦月型からさらに能力向上を目指して設計されたにも関わらず、この個体はその能力を2%程度も発揮できていない。総重量113㌔に及ぶ義体は総じて動作が緩慢であり、また個性も戦闘には絶望的に向いていないため、この個体を用いての情報収集は全く期待できないと判断され、近いうちに廃棄処分となる予定である。
{モチーフ元としての第五福竜丸}
おそらく日本一有名な、日本一不運で不幸な船舶。もともとはカツオ漁船「第七事代丸」の名で建造され、後にマグロ漁船として改造された。
木造船体を持つ小さな船であり、全長30m弱×幅6m弱、最大速度はわずかに5ノット。およそ遠洋漁業をするには心もとないキャパシティの船である。
1954年3/1にビキニ環礁でのアメリカ軍の水爆実験「キャッスル作戦」に遭遇、指定安全海域であったにも関わらず被爆。これは「キャッスル作戦」における水爆の威力想定ミスが原因であり、実際には3倍以上の距離範囲が必要だったため。
遭遇後直ちに母港へと進路を取るが、速力5ノットでは早急に戻ることは叶わず、帰還中にも乗組員全員に著しい異変が起こっていたという。
そして帰り着いて半年後に通信長が死亡、その他の乗組員も深刻な難病を抱えて生きる羽目になり、また持ち帰ったマグロからも放射線が検出される「原爆マグロ」が出回ると言う始末。彼女は業と罪を一辺に背負わされてしまったのである。
そののち東京水産大学の練習船を経て老朽化により廃船、夢の島に部品を抜かれた状態で打ち捨てられるというむごい仕打ちを経験。しかし、東京都職員が彼女を発見して保存運動を起こし、現在は夢の島公園の第五福竜丸展示館にて平穏な時間を過ごしている。
余談だが抜き取られたエンジンが別の船に使われたがその船も沈没、後に引き上げられ、展示館にて再会を果たすこととなる。
2015-04-10 20:36:17 +0000