平安時代 源平の争乱

緫‐suburu‐
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鹿ケ谷事件(ししがたにじけん・1177,6)
  →平氏が調子のってるからぶっ潰すかと計画してたらばれちゃった事件
  →後白河法皇の側近:藤原成親らが
   京都の東山鹿ケ谷のお坊さんの俊寛の山荘で計画しておりました
  →清盛は「もう、なんでやねん!!院政怖いから停止にするし、後白河法皇もどっかいかすわっ!!」
   ってことなり、1179,11後白河法皇幽閉

後白河法皇第三皇子の以仁王(もちひとおう)、平氏追討の計画、命令を下す(1180,4)が
準備ができてないうちにバレて1180,5敗死

福原遷都
  →清盛は「後白河法皇側が源氏ともタッグ組んできて攻められてきそうだし
   ちょおあかんかもしれん」ってことで1180,6に遷都
  →しかし公家の反対が多く、11月に京都へ還都

石橋山の戦い(1180,8)
  →源頼朝VS大庭景親との戦い
  →頼朝が逃げる(負け)

富士川の戦い(1180,10)
  →源頼朝&北条時政VS平維盛
  →夜襲の気配に飛び立った水鳥の羽音に驚いて維盛軍は敗走

平清盛病死(1181,2)

倶利伽羅峠(くりからとうげ)の戦い(1183,5)
  →源義仲VS平維盛
  →越中の砺波山(となみやま)で角に松明をつけた牛を放って
   夜襲をしかけ、平氏軍を敗走させる
  →えっ!牛かわいそうですね…

後白河法皇、頼朝に東国の支配権を事実上認める(1183,10)
  
粟津の戦い(1184,1)
  →源範頼・義経VS源義仲
  →義仲敗死

一の谷の戦い(1184,2)
  →摂津国福原に集結した平氏を源範頼・義経が攻め、屋島へ敗走

屋島の戦い(1185,2)
  →義経らに再び平氏敗れる
  →義経の配下の那須与一の扇の的の話は有名ですな
   詳しくは『平家物語』でっ★

壇ノ浦の戦い(1185,3)
  →源平最後の合戦
  →平宗盛を将とし、幼帝安徳天皇を擁した平氏一門はここに滅ぶ
  →負けを覚悟し、平時子は孫の安徳天皇と入水
   時子の娘、安徳の母である平徳子も後に続くも助けられる
   このとき、安徳天皇は8歳である

守護地頭の設置(1185,11)
  →源頼朝が後白河法皇に迫り設置させる
 

#センター試験対策(日本史)#Heian period#後白河上皇#平徳子#安徳天皇#源頼朝#Nasu no Yoichi

2015-03-30 09:55:26 +0000