平清盛(たいらのきよもり)
→保元の乱(1156)では、後白河上皇側
→平治の乱(1159)でも、後白河上皇側
→妻の妹を後白河上皇の妃にする
→太政大臣になる(1167)
→娘徳子の生んだ幼帝安徳天皇の外祖父となり政権を強める
→源氏が挙兵(1180)
→福原に遷都失敗(1180)
→高熱で病死(1181,2)
→妻への遺言が「今生の~」と伝えられている
ちなみに一枚目の絵は、六波羅密寺の清盛像をモデルにしてますよ~
ポーズだけですけどね
■平氏政権(六波羅政権)
→清盛が京都六波羅に邸宅を構えた最初の武家政権
→外戚関係や荘園・知行国への依存など公家政治の踏襲が多い
→日宋貿易・地頭設置など積極策もある
→武家政権の先駆★
2015-03-30 08:07:02 +0000