平安時代 院政 白河上皇時代

緫‐suburu‐
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白河上皇
   →父の後三条天皇から藤原氏の外戚がなくなり、藤原氏を牽制するために
    院政を開始した人
    仏教を信仰していたので、法勝寺(六勝寺のひとつ)をたてた人
    北面の武士(院の御所を警備する)をおいた人
    趣味は旅行!!(すっごい没頭してたらしい)
    平正盛を登用した!
    僧兵は、意見を言ってくるからキライ

    『院政』
      →天皇譲位の後、上皇として院にあって政治を行うこと
      →院政時代といえば、白河・鳥羽・後白河3上皇のおよそ100年間をさす

    『院宣』→上皇の命令で、院から直接に下達されるもの
    『院庁下文(いんのちょうくだしぶみ)』→院庁から下達される公文書のひとつ

    『北面の武士』
      →院の御所の北側に置いた院警衛の武士
      →噂では、イケメンばっかだったらしい
      
    『知行国制』
      →高級貴族やお寺を知行国主として、土地の支配権を与え
       その土地(国)からの収益を得させる制度

    『源義親(みなもとよしちか)の乱(1108年)』
      →平正盛に討伐され、源氏は一時衰退

    『僧兵(そうへい)』
      →京都や奈良の大寺院にいるお坊さんが自衛武装したもの
       悪僧ともいうぞ★
       とくに強気なのは、興福寺(南都)と延暦寺(北嶺)のお坊さんで、
       意見が通らなかったら、ご神木や神輿をかつぎだして強訴しちゃうぞ★
       しかも覆面してたらしい…絵は顔がもろに出ておる…orz

 ちなみに白河の孫が鳥羽で、鳥羽と後白河は親子です。

#センター試験対策(日本史)#Heian period#白河上皇#鳥羽上皇#後白河上皇#北面の武士#平正盛#僧兵

2015-03-23 15:31:44 +0000